2011年3月20日日曜日

佐野さんから

毘沙沢へも時々遊びに見える仙台の佐野さんから投稿がありました。
実は13日深夜、大変な状況の中からの投稿だったのですが、スパムの中に紛れ込み、気がつくのが遅れました。
という事で、改めて以下に公開しました。


佐野@仙台です。
宮城沖(1978年)、阪神淡路(1995年)、東北関東(2011年)、全て経験してしまいました。
職場で大きな揺れ。実験装置停止。書類散乱。大渋滞の中、4時間かけて帰宅。

自宅は足の踏場無し状態だが、マンション管理組合理事長に変身。危険個所確認、自家発電機始動、全戸への声掛け。深夜まで。

翌12日も、マンション対応。臨時充電ステーション開設、水汲み場確保、トイレ確保、破損個所の撮影、近隣マンションへの声掛け、等々。

山屋なので修羅場には慣れているものの、体力勝負。自分の部屋を早く片づけるよう、カミサンに再三催促される。

文明と自然について、深く考えざるをえない時間。二日間の暗い夜空は、一生の記憶に残るかも…。

13日午後、電気と水道が復旧。テレビを見て、震災の凄さを知る。主人公が事後に状況を知ることに、いささかの疑問を感じる。

ガソリン、食糧、全く入手できない状態が、しばらく続きそうです。でも、只見慣れしているので、何とかなりそうです。

以上

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

その日(3月11日)、時計を見たわけではないのですが、2時40分頃なのでしょう、私はホームセンターへ買い物のに出かけ、よく 入り口近くには 花のポット苗などが並んでいる
あたりまで来たときです。ん?地震かな? お、地震だ。 あ、大きい! いやッ 大きいッ・・・ もう コンクリの上にへたばってしまいました。ガー ガー ゴー ゴー 目の前の ホームセンターの入り口付近のガラスは
割れてゆき 内部の商品棚は たちまち倒れ
品物が混ぜっ返され 照明が消え 茶色のような埃が店内を隠してしまいました。私の周りには内部から逃げ出してきた店員さんなどがいたようですが、何かにすがらないと 左右にさがったり戻ったりする感じで 夢中ですが しがみつくところがない・・・。もうわけのわからない悲鳴をあげながら かなりの時間 動転してました。あ、自宅にすぐ戻らねば・・・、揺れ動く中 立ち上がって 車に向かって歩み 前方の国道を見ると トラックなどすべて その場に停止して 長い列。 ま ともかく 走れるようになり 道路に出てみると これまで 写真でしか見たことない道路の亀裂が すごい。塀が倒れ 瓦が落ちた家、古い建築は なかば つぶれかけている。落ちつけ 落ち着け
・・・。


 

毘沙沢 さんのコメント...

本当に大変でしたね。
津波の被害が劇的で、地震の被害が影に隠れてしまいましたが、これからきちんと検証の必用があると思います・・・建築的には。

ところでマンションは大丈夫だったのでしょうか?
構造に大きな影響が無ければよいのですが。