2018年10月14日日曜日

最初の住宅

兄も私も、終戦直後大田区東雪谷1丁目の借家で生まれました。
両親は共に実家を空爆で失っています。

焼け野原の中で、私が物心ついた時の住宅は4畳半一間の図面の家(駒込)。
天井が無く小屋組の見える、一部焼け跡からの廃材を使った家であったことを記憶しています。
この家で親子4人が生活しました
今その当時の平面図を見ると家とは言えないようなものですが、それが私の住んだ最初の住宅。

その後増築し、小学校低学年の時に建て替え、何回か増改築を繰り返した記憶があります。
決して貧しさは感じていませんでしたが、それは周囲が似たような状況だったからでしょう。

父が旅立って、葬儀も終わり、ここ数日昔の事を想い出す時間がありました。

明日幾つかの用事を済ませて、明後日毘沙沢に戻ります。

2018年10月9日火曜日

父のこと

大正8年、1919年生まれの父が昨日早朝に他界した。

1919年とは第一次世界大戦が終わった年、パリ講和会議が行われベルサイユ条約が調印の年と年表にある。

大正12年の関東大震災の時、父は4歳8か月で大地の大きく揺れる体験を五反田の自宅近くで味わっている。ゆえに「地震は怖くない」とつい最近も話していた。

1931年、12歳の年に満州事変が起こり日中戦争に突入。
1941年、22歳の年に太平洋戦争が始まり、26歳の年に終戦。

技術者であったためか戦地には出向いていないが、昭和20年4月13日東京大空襲で全てを失っている。

そうした激動の中で青春を過ごしたためか、芯が強く、社会の変化への適応力にも優れていたように見える。

それと比較して、私の育った生活環境は何と平安・平和なことか。

父が他界する前夜、イギリスの孫とSkypeで遊んだ。
遠く離れ、英語を話す孫にもそうした血がつながっているのかと思うと、不思議である。
Skypeの向こうの孫

2018年10月4日木曜日

お隣町のイベントですが

10月8日体育の日の「南会津新そばまつり」、田島吹奏楽団で出演します。

演奏は
10時30分から11時30分
14時30分から15時30分の2回です。

曲目は
・ジャパニーズ・グラフィティ
・リメンバーミー
・紅の豚
・ドラえもん
・ど演歌えきすぷれす
・HANABI
・リトルマーメイド

そして、アンコール
・ダンシングヒーロー
・まつり

台風25号が近づいていますが・・・たぶん大丈夫。
聴きに来てください。

2018年10月2日火曜日

13年の重み

地方は、過疎地はとても速いテンポで変化しています。
毘沙沢の我が家の前の土蔵が今日消えました。
いや、片付けました。
今日の解体作業


13年前には、持ち主が冬の時期屋根の雪を下ろして守っていた建物。
当時は白山神社も今だ布沢集落によって維持されていました。
2005年1月の雪の中の白山神社と雪下ろし中の土蔵

その2つの建物が今消えました。

江戸の昔から続いてきた山の暮らしは、今、大変な勢いで変わろうとしています。

地元ではこれは当然のこととして受け入れられているように見受けられますが・・・私は未だ呑み込めないでいます。

2018年10月1日月曜日

額縁

私の木工の師匠は端材が溜まると、こまめに額縁を作っていた。
私はどうも額縁が苦手。

対象となる絵が無いままにイメージすることが難しいのと、中に入る絵より額縁を主にデザインしてしまう傾向が良くない。

そんなことで頼まれないと作らない。
ですから友達関係が主で、今回も昔からのお付き合いのSさん。
クリ材の額縁
イタリア・シチリア島でのスケッチ旅行からの帰国展で使って頂きました。
ご愛用の裂き織のバックは富美恵作
銀座の会場に出かけました。