2018年10月30日火曜日

お馴染みさん

先日のS さんご夫妻は、奥さんのカナさんが只見町出身。
昨日の訪問者Kさんご夫妻とIさんは只見の山が大好きで・・・そして麻衣子さんは、数年間只見町に住んだことがあるお馴染みさん。

今回も山に登って、その帰りに尋ねてくれました。
この場所に居ながらにしていろいろな方にお会いできますね。
これってすごく得した感じ。

でも、段々と朝晩の気温が下がって、毘沙沢はそろそろ本格的に冬の準備です。

2018年10月28日日曜日

ダムの底から

予想に反して朝から快晴。
毘沙沢の秋は、もしかしたら只見でも5本の指に入る紅葉の名所かもしれないな。

午後から岐阜県の徳山ダム建設時を記録した映画「水になった村」を拝見。
実はダム建設の記録ではなく、そこで暮らした人々の最後の生活を大西監督が自ら体験し、克明に記録した物語でした。

会場風景
あまりにも奥会津の今の、あるいは数十年前のこの地の生活に類似しているのに驚きながら・・・毘沙沢という廃村で暮らす私達の生活と重ね合わせてしまいました。
もしかすると今の私達の生活は、湖底の暮らしなのかもしれない・・・と思いました。

徳山村も毘沙沢も共に住み続けられない事情があって、住処を離れた。
ただ徳山村は村そのものが水の下に消滅してしまったが、毘沙沢のような廃村の場合は風景は残るところが救いかな。

今回の会場は青少年旅行村の古民家。
ここでも多くの方とお会い出来ましたね。
企画主催のサナエさん、関係者の皆さんご苦労様でした。
工房の今日
工房では機械が直って、バンバンと仕事に励んでいます。

2018年10月26日金曜日

自家発の故障

工房の工作機械を動かしている三相200Vの電源である自家発電機が10月18日に故障していた。

購入から16年ほどが経過しているのと、その間10年前に一部部品を交換しただけで、きちんとしたメンテナンスもしていないのだから・・・・でも困る・・困るのです。

最後、何とか動くには動いたのだが、まともな動き方じゃないし、発電能力も極端に小さくなっていた。
キャブレターなど多少いじっても効果なし。

買い替えも考えたが、プロに修理を依頼。
何と、さすがにプロは違う。

見て、動かして、すぐに故障個所を見つけた。
エンジンの頭部とシリンダー部の継ぎ目のパッキンがパンクして空気が漏れていたのだ。
問題のパッキン
この部分のパッキン

部品を取り寄せて今日無事に直りました。
ロビンのエンジン(汎用品)は今でも部品があるのですね。
広島からの部品だそうです。

感謝感謝。

2018年10月25日木曜日

今日の毘沙沢

毘沙沢の秋が始まりました。
今日は朝から良い天気。
都会の皆さんへ御裾分け。






2018年10月24日水曜日

無事に搬入

納入先の建物の完成を待って、昨日大きな家具を運搬。
結果は設置場所にぴったりと収まって首尾は上々だったのですが、その途中にドラマがありました。
ドア枠を一部外しました


心配されていたように、扉幅の関係で工房から搬出できないのでした。
これは、ドア枠を一部壊すことで解決。
もう一つは、搬入先の開口寸法が足りなくて、急きょ窓ガラスを外していただきました。
窓ガラスを外しての搬入

重たい家具は5~6人で運んで頂けましたのでスムースに事が運びましたが、工房から出ないと分かった時には少々慌てました。

郡山までの運搬で設置に時間を要し、最後の扉の調整が終らなかった。
逃げのない収まりで、スライド丁番がいう事を聞きませんでした。
現場での作業中
少々心残りでしたが、後は現場にお願いして・・・。
施主や現場の皆さんにはお世話になりました。

素晴らしい設計と、完成度の高い建物の中に山の中からの家具は少々恥ずかしそうでしたが、無垢材オークの存在感を示してくれると嬉しいです。

何のための家具かは後日。

2018年10月21日日曜日

元気にしています

毘沙沢は朝晩冷え込む季節になりました。
山の色も少しづつ秋へと近づいています(写真は後日)。

毘沙沢に戻って、カラマツの家具作りが再開。
久々にボリュームのある仕事で多少苦労しています。
テーブル板の接ぎ作業
実は、工作機械を動かす自家発がダウン。
雪の季節までに何とかしなくては・・・・トホホ。

結婚して関東に新居を構えたSさん夫妻が来宅・・里帰りだな。
中々予定が合わなくてお会いできませんでしたが、やっと会えましたね。
来年雪まつりのころにお子さんが誕生予定と伺って・・・嬉しい出来事。
幸せなのだ
田島吹奏楽団の練習にも参加出来ました。
家族のような仲間との練習は、ほっこり。
練習に出て良かった

今日は町で開催の「全国ブナ林フォーラム」に出かけてみました。
懐かしい顔に沢山お会いしました。
ブナ林フォーラム

段々と雪の季節が近づいています。
チョッとせわしない空気の中で・・・でも元気にしています。

ご報告。

2018年10月14日日曜日

最初の住宅

兄も私も、終戦直後大田区東雪谷1丁目の借家で生まれました。
両親は共に実家を空爆で失っています。

焼け野原の中で、私が物心ついた時の住宅は4畳半一間の図面の家(駒込)。
天井が無く小屋組の見える、一部焼け跡からの廃材を使った家であったことを記憶しています。
この家で親子4人が生活しました
今その当時の平面図を見ると家とは言えないようなものですが、それが私の住んだ最初の住宅。

その後増築し、小学校低学年の時に建て替え、何回か増改築を繰り返した記憶があります。
決して貧しさは感じていませんでしたが、それは周囲が似たような状況だったからでしょう。

父が旅立って、葬儀も終わり、ここ数日昔の事を想い出す時間がありました。

明日幾つかの用事を済ませて、明後日毘沙沢に戻ります。

2018年10月9日火曜日

父のこと

大正8年、1919年生まれの父が昨日早朝に他界した。

1919年とは第一次世界大戦が終わった年、パリ講和会議が行われベルサイユ条約が調印の年と年表にある。

大正12年の関東大震災の時、父は4歳8か月で大地の大きく揺れる体験を五反田の自宅近くで味わっている。ゆえに「地震は怖くない」とつい最近も話していた。

1931年、12歳の年に満州事変が起こり日中戦争に突入。
1941年、22歳の年に太平洋戦争が始まり、26歳の年に終戦。

技術者であったためか戦地には出向いていないが、昭和20年4月13日東京大空襲で全てを失っている。

そうした激動の中で青春を過ごしたためか、芯が強く、社会の変化への適応力にも優れていたように見える。

それと比較して、私の育った生活環境は何と平安・平和なことか。

父が他界する前夜、イギリスの孫とSkypeで遊んだ。
遠く離れ、英語を話す孫にもそうした血がつながっているのかと思うと、不思議である。
Skypeの向こうの孫

2018年10月4日木曜日

お隣町のイベントですが

10月8日体育の日の「南会津新そばまつり」、田島吹奏楽団で出演します。

演奏は
10時30分から11時30分
14時30分から15時30分の2回です。

曲目は
・ジャパニーズ・グラフィティ
・リメンバーミー
・紅の豚
・ドラえもん
・ど演歌えきすぷれす
・HANABI
・リトルマーメイド

そして、アンコール
・ダンシングヒーロー
・まつり

台風25号が近づいていますが・・・たぶん大丈夫。
聴きに来てください。

2018年10月2日火曜日

13年の重み

地方は、過疎地はとても速いテンポで変化しています。
毘沙沢の我が家の前の土蔵が今日消えました。
いや、片付けました。
今日の解体作業


13年前には、持ち主が冬の時期屋根の雪を下ろして守っていた建物。
当時は白山神社も今だ布沢集落によって維持されていました。
2005年1月の雪の中の白山神社と雪下ろし中の土蔵

その2つの建物が今消えました。

江戸の昔から続いてきた山の暮らしは、今、大変な勢いで変わろうとしています。

地元ではこれは当然のこととして受け入れられているように見受けられますが・・・私は未だ呑み込めないでいます。

2018年10月1日月曜日

額縁

私の木工の師匠は端材が溜まると、こまめに額縁を作っていた。
私はどうも額縁が苦手。

対象となる絵が無いままにイメージすることが難しいのと、中に入る絵より額縁を主にデザインしてしまう傾向が良くない。

そんなことで頼まれないと作らない。
ですから友達関係が主で、今回も昔からのお付き合いのSさん。
クリ材の額縁
イタリア・シチリア島でのスケッチ旅行からの帰国展で使って頂きました。
ご愛用の裂き織のバックは富美恵作
銀座の会場に出かけました。