2020年6月4日木曜日

想い出の中に・・・その11

1998年の3回目の冬、只見のゆきまつりに出かけています。
札幌などと違い、規模が適当、心地よいですね。
知ってる顔もすでにその頃何人かいて、熊汁やウサギ汁などを振舞っていました。

この日は何故か暖かくて雨が降りました
5月の連休に、秋田のホテルの現場監理で家族付き合いをしていた岩月さんご夫妻が来宅。
岩月さんご夫妻
この頃になると毘沙沢の環境も少しずつ整ってきて、季節の良い時には家族で過ごす時間が多くあったように思います。
コゴミ採りだったかな
伊南川のこいのぼり
イワナの里


イワナの里で楽しむ義父と義母
記念植樹

 春の山菜、夏の天の川やホタル、秋の紅葉など楽しんでいました。

2020年6月3日水曜日

想い出の中に・・・その10

いろいろな人が遊びに見える、というのはまだまだ先の話で、この頃は知る人ぞ知る秘境。
この時期になぜこの3人だったのか今となっては定かでないのですが、1997年の、そろそろ夜は寒くなる秋の初めでした。
左から私、妻、娘、山口さん、平野さん、高橋さん

平野忠夫さんは、都立大南大沢キャンパスとか北九州大学の設計で共に戦った戦友、私を可愛がってくれた先輩のお一人。
高橋琢郎さんは、大川端の超高層マンション、その後の韓国へのコンサルなどでお世話になった、都市計画、街づくり側から建築を考える建築家、こちらも日本設計の先輩。
山口博喜さんは、ランドスケープを丁寧に熱っぽくデザインするタウンスケープ研究所の代表。大川端で色々助けて頂いた。


山の中の、まだ当時は相当のあばら家の囲炉裏を囲んで、日本の今後の建築はどうのこうのと、たぶん、夜遅くまで議論したのではないかと想像する(正確には思い出せないのだが)。

現役バリバリで、お忙しい時期に遠路よくぞ来ていただいたと思います。
そういう私も、このすぐ後に済州島のコンベンションセンターのコンペに突入しました。

2020年6月2日火曜日

想い出の中に・・・その9

ここ数か月の騒ぎの中、只見町ではブナセンター関連付属施設が6月1日から再開館したが、未だ首都圏からの入館は制限されている。
これは、この町の事情を知る者にとっては当然の処置で、何とか無事に切り抜けてくれることを願わざるを得ない。

ですから、私達は首都圏から行き来はしているが、田島から先は毘沙沢一点でしか車を降りないよう心掛けている。

そんな訳で、現在は柏で書いています。
机の上のパソコンが外とのつながり、唯一の(大げさ)交信ですからまるで宇宙船の中(毘沙沢と比較してですが)。
机の上には何故か、村上春樹と高橋留美子劇場・・・そして、今はCDで今井美樹。
ま、そこそこ快適ですね。

写真は昨晩

1997年7月19日、免許を取った富美恵が初めて毘沙沢に向けて運転。
8月14日流し台と水栓工事が終わり、台所が出来た。
9月13日、玄関ドアを運搬取り付け。
スカイラインの屋根に括り付けて運びました
扉施工後の記念撮影


私は、西洋かぶれしていて、扉は重たくて丈夫でなくてはいけないと信じていてナラの無垢材で自作(八街の榎本工房で作業)したものだから、とにかくやたらと重たい代物でした(やれやれ)。

2020年6月1日月曜日

想い出の中に・・・その8

1997年、3回目の春は4月12日に車が入りました。
町も、私達の生活をこうした形で少し応援してくれていたのだと思います。
北西の最後の外壁かな

それでも、まだまだ怪しい活動と受け止められていたのか、明和派出所から出頭命令の電話が入るという事件が有りました。
幸い、大手建築設計事務所勤務という事で30分ほどの尋問で解放されたと思ます。
身元がしっかりしているという事は有難い。
オウム真理教事件、地下鉄サリンの時期ですから仕方ないことですが。

この頃「湯ら里」の名前が私の記録メモに登場するようになります。
その後、お風呂と食事で助かりました。

5月4日、元毘沙沢住人の和男さんのご家族に夕飯の招待を受けるという事もありました。メモに、熊汁、くりきなこもち、ワサビ菜などと書かれています。
残念ながら写真が有りません。

5月に仕事の仲間の来訪あり。
荒木さん、中村さん

鳥住さん、林さん、絹巻さん

2020年5月31日日曜日

想い出の中に・・・その7

2年目の1996年も年間68日ほどを毘沙沢に遊んでいます。
外壁の板張りと窓のセッティングがおおむね終了。
1996年秋の状況
煙突はこの状態でしばらく使っていました。
法律違反

私達が訪れたた当初から、毘沙林道には「たもかく㈱」の開発による別荘が十数軒建てられていました。
東電の電信柱にも「別荘線」と表記されていたと思います。
しかしながら、一般の別荘地のように行政との間で開発手続きが行われたものではなく、地元の布沢区との間の調整も必ずしもきちんとしたものではなかったことで、あれ・・という事が時々発生しました。

この年の冬だと記憶していますが、雪の季節の最初の訪問者(林道の雪の上を歩いた)、職場の後輩、宮崎君と福西君が来た時。
林道の下に車を止める場所が無いためにちょっとしたトラブルが発生しました。

冬の別荘利用者の駐車は未だに解決していない話題です。

ともあれ、遅いので心配して途中までカンジキを履いて降りていくと、足元はグショグショの福西君とスキーを履いてエッチラコッチらの宮崎君に出会えてホッとした記憶が有ります。
その時の写真です。
ストーブの前で
福西君、宮崎君と共に
先日、用事で他県を越えて毘沙沢に出かけました。
朝はウグイスとホトトギス、昼は春ゼミが激しく鳴いていました。
気持ちの良い季節です。
久々に家の周りの草払いで汗をかいてきました。

2020年5月30日土曜日

想い出の中に・・・その6

1996年春。
この頃、毘沙沢林道の春先の除雪は旧毘沙沢住人の農作業に合わせていたようです。
その為5月の連休でも終点までは車が入らない年もありました。
5月の連休の林道

連休に我が家を訪ねた兄の家族は、最後の100メートルぐらいを、5月だというのに雪上歩行。

私達は相変わらずのペースで、柏と毘沙沢を往復し、改装作業をしていました。
改装とはいえ残材の処分が半分です
外壁塗装の父

昔の石の暖房器具
作業の合間に時には周辺の観光地を訪れています。
昭和村方面

田子倉ダム

また、この頃から職場の同僚あるいは仕事仲間が手伝いもかねて遊びに来るようになり、こうした時は、イワナの里によく出かけました。
前年10月に訪れた高橋さんと笠井さんは
この年は6月23日の訪問でし
9月22日、山口さんとイワナの里

夏休みにバイクで、宮崎君


2020年5月24日日曜日

想い出の中に・・・その5

1996年の冬、初めての豪雪の洗礼。

雪はスキー場で体験したぐらいの都会者が、豪雪地・奥会津の、地元の方々も嫌がる山奥の家ですからこれは大変な体験でした。
しかし、当時はそんなことは少しも気にしていませんでした・その恐ろしさが分かるのはその後何年か後になります。

1月14日・煙突が落下
屋根の上で固まって・・落ちます
硬くて重たい雪です

最初の冬の薪ストーブ

・屋根の雪が地上に落ちた雪とつながって、屋根を壊す。
・雪のために家に入れなくなる。場合によっては家から出られなくなる。
・新雪のため、カンジキを履いても歩けない。

そんなことは、頭の中では分かっていても経験しないとその恐ろしさは実感できません。
2月3日・大雪後の只見町小林
この日は林道を歩けず、そのまま引き返しました

天気の良い日は実に爽快

最初の冬は、そうした豪雪が、むしろ面白い、楽しい。
そんな一冬でした。

2020年5月23日土曜日

想い出に中に・・・その4

1995年は、とにかく毘沙沢に出かけるのが面白く、土曜日の早朝柏の家を出て10時30分には毘沙沢に到着。
そんな生活でした。
勿論、月~金は新宿に通勤していました。
委託工事が終わった頃の毘沙沢

この頃、母を亡くして数年でしたので、父を時々誘っています。
駒込駅を山手線の始発に乗り、柏駅で5時に待ち合わせ。
彼も、面白がって良く付き合ってくれたものです。
ゴミなどの片付ける父

この年は、雪までに外壁を何とかすることで一生懸命でしたので、ごみの片付けは父の仕事でした。
委託工事後の北側

北壁面から少しずつ

10月28日、一部に既成の木製サッシュを取り付けています。
雪の降り始め、玄関のあたり
秋の終わりに薪ストーブを搬入、セッティング。
薪ストーブ

この年は雪が早く、12月9日にはカンジキで歩く初めての経験をしました。
年間27回往復、69日を毘沙沢に遊びました。
12月9日?あるいは翌年の1月2日

2020年5月21日木曜日

想い出の中に・・・その3

1995年5月の連休の後、依頼工事が始まりました。

1.増築されていた入り口部分の下屋と、北側の台所、風呂場、2階の二部屋の撤去。
2.長い年月の雪の重みで変形していた構造のゆがみ直し。
3.茅葺が傷み雨漏りしていたため、金属屋根をのせる。

この工事は6月いっぱいを要したと思います。
その間にも室内のゴミのような物を片付けに4回ほど出向いています。
屋根葺き工事


ゆがみ直しの作業

この間、トイレが使えないので、宿泊は民宿松屋を利用。
汚水タンクが7月9日に届き、30日に埋めてもらっています。
また、電気工事は私の父が専門で引き受けてくれ、7月15日から始まりました。

しかしながら、その後7月29日に大雨が降り、林道が一部崩れて車の通行が危ないという事件が発生しました。かろうじてギリギリで車は入りましたが、今考えると危険な行為だったのだと思います。
現場監督

そんな状況から、29日に初めて家の中にテントを張って宿泊。
しかしトイレは未だ完成していませんでしたので、外に穴を掘って用を足すという事がこの後しばらく続きました。
ま、誰も見ていませんからできたことですが。