2012年3月31日土曜日

ハヤト君

「森林の分校ふざわ」の支配人を引き受けていたとき、ハヤト君の両親にも手伝ってもらっていて、ハヤト君とは何度か会っていました。
その後、福島の大学に入学後も、帰省の時に我が家に何度か遊びに来ている。

そうだ、私のブログにも投稿してくれたことがある。

この春大学を卒業、只見に戻って働くと言っていたのだが、どうしたろう・・と心配していた。
そんなハヤト君が昨日、突然現れ「今日、町役場の初の登庁日だったんです」と背広の襟の真新しい町のバッチを自慢げに見せた。
「おい、町役場の職員に成れたのか、いや~良かったな」
私は、この時まで彼が町の職員試験に合格したことを知らなかったのです。

しばし、囲炉裏を囲んで話しました。
今年の町の新人は大卒2人、高卒1人だそうです。
こうして只見町の為にがんばる若者が身近にいることはとても嬉しいことです。

高校の同窓会報に、私が高校生の時の校長佐々木益男さんが104歳で昨年亡くなられた、とありました。
ハヤト君が私の歳になる時、私は105歳です。勿論この世の者ではないでしょう。

2012年3月30日金曜日

遊びながらの古民家再生-9

「遊びながら」の補足です。
■住むことを目的としない(当初はそうでした)、遊び場として考えている。
■改装工事にスケジュールは無い、図面も見積書も作らない、現地で即興・気ままに作る。

当時の私の仕事は、スケジュールを作り、計画を練り、図面を描き、見積もりをして・・・・施工図を確認して、検査して・・・。
そして立派な建築が出来るのですが、そうした中で私が出来なかったこと、それは、自ら作ること。
それが、この毘沙沢での遊びとなったのでしょう。

遊びは、仕事と違って実に楽しいものです。
ちなみに現在は、家具の図面を描いて見積もりをしスケジュールを作って・・・もっとも、自ら製作もしていますから・・・半分遊び????。

昨日は朝からピカピカの快晴、抜けるような青空。
裏山へ出掛けました。まだまだ遊びも続いていますよ~。
家の北西200㍍ほどの若いブナ林

山を歩く時は、やはりカンジキ

2012年3月28日水曜日

遊びながらの古民家再生-8

昔の資料を見返すと、最初の年は、4月15日に雪の中を歩いて訪れてから、雪の降る12月10日までに、61日間、毘沙沢に滞在して改修作業をしていました。

勿論、その間も、柏市の自宅から職場の新宿まで通勤し、ハードな仕事はきちんとこなしていましたから、大変なエネルギーです。
17年前ですから私は46歳、だから出来たことなのかもしれませんが・・・古民家の再生が実に楽しい作業であることの証でもあります。
古民家の再生と書いていますが、正確には「古民家と遊ぶ」ですね。
と言うことで今回からタイトルを変更しました。

写真は、11月5日の毘沙沢の出来栄え。
外壁は3分の1ぐらいが終わり、一部窓も付きました。
1995年11月5日の南外観、窓はカナダ製木製サッシュ
雪がいつ来るかわからないので、とにかく開口部を塞ぐことに大わらわ・・・時間が足りない・・・。
この頃は、冬場どれくらいの雪が積もるのかほとんど知らなかったので気楽でした。
玄関部分ををふさぐ作業中、この状態ですからとにかく寒い
家の中は、この時点でトイレが使えて、薪ストーブが入っていました。
最小限、雪の中で過せる環境は整えたいと考えていました。
ストーブはデンマーク製

2012年3月27日火曜日

快晴

夜中に屋根を雪が滑り落ちる、ドドド・・・と言う音を聞くとゾゾ・・と・・。
そして今朝は快晴・・・・あ~ありがたい・・ぬけるような青い空。
ここ2日間で30cmほど積もりました。

工房では富美恵が展示会の準備でバタバタと。
私は、ぐい飲み棚の製作を今日終えました。
裂き織りと帯地のクッション

楢のぐい飲み棚・背板は癖の強いタモ

2012年3月26日月曜日

今日の毘沙沢

数日前に車を自宅の前に移動しました。
除雪のすぐ後は、林道がぬかりますから、冬用タイヤの4輪駆動車でなくては未だ入れません。

そして、昨日、今日とまたしても雪が降りましたから、動きが取れません。
まだまだ厳しい冬が続いています。
今日の毘沙沢

まだまだ雪が沢山有ります

そんな中、嬉しいニュース。
私達が後援していた「石橋あすか」さんが、予想に反して、町議会議員に上位当選しました。
そうしたことになるのではないかと、ひそかに予想はしていましたが。

先の見えない只見町の現状を何とか変えたい、打開したいと思う人の票が、若く新鮮な石橋さんに集まったのでしょう。
でも、実はこれから始まるということですから大変です。
何とか、力になりたいと思います。

そういえば、2005年の写真が・・・すごい雪。
そうなのです。つい最近までこんな感じだったのです。ここ数年でずいぶん改善されました。
2005年3月15日撮影 この状態で生活していました。

古民家再生-7

屋根と大工工事: 1995年5月22日~6月24日
7月1日 舘岩の株)オグラに仕上げ材等木材料の発注
8月12日から外壁工事(自ら作業)の開始 

7月15日までは民宿に宿泊していましたが、7月29日より、毘沙沢に泊まって工事をしています。
当初は外壁が無い部分もあり、家の中にテントを張って寝袋で寝る、というスタイルがしばらく続きました。

外壁を再生するに当たって、当初の姿に再現するということも考えられましたが、引き戸に障子というスタイルはとても雪国のものとは思えず、全て板張りです。
所詮、民家保存という精神ではなく、再利用が目的でした。

外壁は窓の開口を確保しながら、各スパンごとに仕上げていくという方法で、1回の滞在で1スパンのペースで進めています。
1995年8月19日の全景

外壁工事を始めた頃の北面(角面の合板は仮設)

この時期、当時76歳の父が、たびたび手伝いに同行しています。
父は東京で生まれ育っていますが、作業をしていると、大正生まれの人はその作業動作が、私よりよほど只見の人に近いと感じました。
ゴミを片付けたり、ちょっとした作業をする時の段取りなどが手際よいのです。
あらゆる事を淡々とこなします。
こうした基本的な身体能力は、いわゆる現代人に大きく欠けた部分だと改めて感じました。
ゴミを片付ける父  1995年 8月19日

2012年3月25日日曜日

つむぐ春

今年も、工房の裂き織りを、柏市松葉町2丁目の「民家ギャラリー結」で開催の「つむぐ春」に出品します。
開催日 4月6日(金)・7日(土)  午前10時~午後5時

お近くの皆さま、是非お出かけ下さい。
富美恵は2日間、出品会場に居るようです。

2012年3月24日土曜日

古民家再生-6

古民家の魅力は骨組みの力強さ。
特に東北の民家の大黒柱はケヤキの尺角が普通。
ですから、解体やむをえない、と言う場合でも移築もされて来ました。

最近の住宅はコンクリートの布基礎の上に乗っかっているのですが、昔の家は独立した丸石の上に、それぞればらばらに乗っている。
布基礎は上に載る構造が軟くても何とか躯体を維持できますが、独立柱の構造は上部躯体の剛性が必要。
骨太でしっかりした構造が前提になるということです。

そんな骨太の家も、毘沙沢では豪雪と長い年月の為、ゆがみ、外周部の柱は20~30センチも沈んでいました。
まずはこれを何とかしなくては何も始まらない。
ゆがみを直して沈下を修正・・・なんとも心もとない仕事です。北側の外壁1995年5月27日

「出来ることは自分でやるぞ~」のコンセプトで始めましたが、屋根の処理と一部壊体と躯体の変形はさすがに地元の大工さんに御願いしました。
それも、頭金額を決めただけで、図面も仕様も見積書も無い状態で、です。
建築家の仕事とは思えない・・でも、遊びだし、本職が忙しくて・・・などと。
増築部分を解体した部分

予算内、とはいえ、実に心もとない工事です。
持ち上げた柱の下に束を立てて・・・おいおい、大丈夫かい?・・・。
しかし、この状態で最近の何回かの地震を持ちこたえてきましたから・・さすがに古民家の構造は強い、と納得しています。

2012年3月23日金曜日

林道の開通

毎年、この瞬間を楽しみにしています。
今年も、ほぼ3ヶ月の越冬生活が今日で終わりました。
寒い日が続くこの冬も、これで気分は一挙に春に変わります。
毘沙沢集落の入り口

我が家の入り口を狭いのに、サンキュー。

あ~、これでスノーシューとも、しばしオサラバ、ソリを引く必要もない。
そういえば日本酒が底をついている。家具の材料も楽に運べる。
車が入るということはなんとありがたいことか。

2日前の吹雪の中の雪上歩行が嘘のようである。


2012年3月22日木曜日

古民家再生-5

屋根の話の続きです。
茅葺の上にトタンをかぶせる工法は、実は完成された工法ではありません。

多くの茅葺屋根が、社会構造の急激な変化で、葺き替えが出来なくなって困った時期。
たぶん、板金職人の中に茅葺職人からの変更組みもいて、考案されたのではないでしょうか。

雪の大して積もらない地域では、茅の上にシートのように鉄板を載せる工法で十分。
そうした工法が、そのまま雪国にまで普及したのではないでしょうか。

大きな勾配の付いた民家の場合、生活している限り、雪は滑り落ちてくれます。
ですから、雪国でも便利な屋根として評価されたのではないでしょうか。

しかし、ひとたび空き家になると、実は会津の雪は屋根にへばり付いてなかなか滑らない。
そうなると、加重で屋根が沈み、そのしわ寄せで軒の先端を壊してしまうのです。

あるいは、只見のような豪雪の地では、屋根から滑り落ちた雪と屋根の上の雪と一体になって、軒先を壊すという現象も良く見かけます。

毘沙沢でも、1月・2月に雪堀に来れなかった1999年、屋根の一部を壊しています。
その時は、屋根が沈み込んで、ストーブの煙突も見事に壊れました。
1999年2月21日、この年初めて毘沙沢に来た時の玄関前。
南西の角がつぶれたように壊されていました。

豪雪地帯の古民家の屋根は、本格的に直すには、茅葺全てを取り払い、新たな小屋組みを作らなくてはならないということかもしれません。
壊れた煙突は自分で直すしかありません(1999年2月21日)。

2012年3月18日日曜日

二つのコンサート

私達がオカリナの指導を受けた中島さん、主催する「まつぼっくり」のオカリナコンサートが3月17日、アミュゼ柏 クリスタルホールで行われました。

オカリナは只見町で同好会的に演奏をしていますが、音を合わせるのが難しく、大勢で合奏することがうまく出来ません。参考になればと思い出かけました。
「まつぼっくり」では、合奏形態に複雑な構成を避け、さらに楽器を同じメーカーに揃え、勿論音を合わせる練習をとことんやることで20人のハーモニーを確保していました。

オカリナだけで2時間ほどのコンサートとする為、多くの工夫がされていて、飽きることはありませんでした。
大変な練習をこなして来たのだろうと思わせる素敵な演奏会でした。



そして今日は、只見大好きのチェロさんと、ビオラの島さんが所属する「小江戸川越第九の会オーケストラ」の演奏会が、大作「歌劇カルメン」に挑戦。
ということで川越市市民会館まで出向きました。

アマチュアのオーケストラが地元のコーラスをバックにして、入場料を取って、何と大ホールを満席にしていました。すごい。
その理由は、曲の選択が良い、指揮者と歌手9人がバリバリのプロと豪華な出演者。そして地元からの出演者が沢山居る、も効いているのかな。

それにしても、2時間半に及ぶ演奏を見事に成し遂げたオーケストラは立派。
渡邉さん、島さんご苦労様でした、素敵な演奏ありがとうございました。次回は只見でお会いしましょう。





2012年3月17日土曜日

公開討論会

16日は朝から快晴。こういう好条件を狙って訪れる人がいます。
昆虫写真家、初太郎さん。案内人は今年3回目の和子さん。

今回の初太郎さんの目的は雪の上を歩く「雪虫」。
ご存じない方も多いと思いますが、今頃、川沿いの雪の上に、何でこんなに沢山の虫が雪の上を歩いているのか?と、よく見ないと分からないほどに小さな虫のこと。

雪解けと共に川上で産卵し、夏に幼虫が川を下り、秋に川下で成虫になり、冬川上まで雪の上を歩く。などと聞いた記憶があるが、実は生態が良く分からない?ご存知の方教えてください。
写真は、只見広報の初太郎さんの解説。

この日は忙しい。
夜、議会選挙前の、公開討論会の公聴。
村湯でお風呂に浸かり、食事をして朝日地区センターへ。
14名の候補者が全員参加し、会場は満席。
質問は
1.地場産業の推進や企業誘致による若者定住について
2.役場庁舎と只見地区センターの今後について
3、国道289号線・八十里越の供用開始の只見町の将来像について
4.新エネルギー開発への取り組みについて
5、若者の活性化について
そして、最後に各候補者が持論を1分で公表。

2時間半の討論会でしたが、只見の議員候補者はこうした人達なんだと言うことが分かりました。
そして、現在の多くの問題は国以上に地方にしわ寄せが来ているとつくづく思いました。
さらに、人材は中央に、世界に流出していると感じます。
「石橋あすか」さんに頑張ってもらいたい、と言う気持ちを新たにしました。










2012年3月15日木曜日

古民家再生-4

茅葺の屋根はすごく魅力的で、これを何とか残したい。
とにかく、古民家は茅葺でなくては・・・茅葺の家に住みたいと最初考えました。

我が恩師でもあった池田武邦さんは長崎オランダ村、ハウステンボスといった仕事の後、長崎に茅葺の家を新築し、最近までお住まいであった。
とにかくカッコイイ。

しかし、これは豪雪地帯では実に難しいということを後でいやと言うほど知りました。
会津でも新潟に近づくほどに豪雪。
只見町の中でもその傾向は顕著です。

南郷、舘岩まで行くと、幾分楽になり、田島まで行くと、ここは豪雪じゃない、なんてそんな感じです。
ですから南郷の「ダーナラ(スウェーデン料理)」は未だに茅葺で頑張っているし、舘岩の前沢集落もなんとか成り立つわけです。
只見町には唯一「叶津番所」が坂本さんの力で維持されていますが、これは県の文化財指定で何とか持ちこたえているのだと思います。
要するに、個人の力では無理なのです。

という言い訳をして、我が毘沙沢の屋根は、この辺りでは一般的なトタンを載せる(トタンの下には茅葺が残ります)ことになりました。
写真は1995年6月3日です。
屋根の下地は一般的にはこの様に籠状、実に心もとない。

この左側に増築されていた部分は取り除いた。



2012年3月14日水曜日

会津民家・木部の仕上げ

ある年代より前の会津の民家の木部の仕上げの多くが手斧(チョウナ)。

今の住宅はヒノキを最上にして多くが杉のような針葉樹で出来ている。
一方、東北の古い建物はケヤキを最上とする広葉樹が多く使われてきた(これは縄文の文化の流れ)。

現在の住宅の木部は全てが鉋(機械)で仕上がっているが、昔の会津の建物の木部は主にチョウナ仕上げ。

木を扱っていて分かる事がある。
広葉樹は硬く、節周りなど鉋で綺麗に仕上げることが難しい。
一般には、台鉋は扱いが難しく、普及が遅れた会津でチョウナが最近まで残ったとの説明もつく。

しかし、チョウナ仕上げの柱、梁を見ていると、これは結構美しく。
昔の人は、そちらを愛して選んだのかもと思えてくる。

私は、最近とんとお目にかかれないチョウナ仕上げが好きである。
そういえば、20代後半・内藤徹男さんの下で勉強した蓼科の蓼雲荘(三井不動産の迎賓館・・ヴォーリズの京都の大丸ヴィラの影響を受けている)の木部のナグリ仕上げを思い出した。その後、その隣で私が日立製作所の迎賓館「蓼科荘」で同様のナグリ仕上げを行っている。




2012年3月13日火曜日

古民家再生-3

毘沙沢は災害から26年間時間が止まっていたわけですから、ゴミもホコリも溜まるのは当然ですが、古民家と言うのは多かれ少なかれこうした状況の場合が多いと思われます。

町の中の古民家もいくつか見ていますが、多くが経済成長の過程で新建材が入り込み、下手に改装されて、かえって悪い状態です。その点、毘沙沢は時間が止まっていたお陰でむしろ助かったわけです。

それにしても、始まりは写真のようなもので、何処から手をつけたらよいか、といった状況です。これを面白いと思えない人には古民家再生(自ら手がける)は難しいかもしれませんね。
小屋裏は古いものも新しいものも混在。中には面白いものもありました。

本来寝室、この上が女の子の部屋。現在も寝室として利用しています。

2012年3月12日月曜日

古民家再生-2

200年以上昔の家ですから、それこそ沢山の物が蓄積していました。
離村の時期が経済成長の始まる頃でしたから、そして、文明の到着にはだいぶ時差がありましたから、残されたものは実に興味深いもので満ち溢れていました。
これらの鋸はこのまま残して欲しかった。

そのまま、整理しておいたら、ある時代の山間住居の生活博物館になったのではないかと思われるほどでした。
しかしながら、新たに都会者が買ったわけですから、このままには出来ません。
多くは、前の持ち主に引き取っていただきました。

それでも、多くの物が残り、処分しています。
生活が途絶えて、住み手が変わるという事はそういうことです。
建物は何とか原型を留めたとしても生活は不連続になると言うことです。
その後、改装の過程で重要と思われるものは極力残していますが、わずかです。

古民家の再生という事は多かれ少なかれ今までの生活をある時点で切り捨てるという行為です。
さもなくば、毘沙沢の場合全てが消滅してしまうのです。
時間が止まったような景色でした。

この部屋は米の処理などに使われていました。

2012年3月11日日曜日

古民家再生

古民家の再生はなかなか難しいと最近考えます。
奥会津では特に厄介、と思うのはこの地の事情を深く知るほどに・・・。

しかし、毘沙沢の最初の春を思い出すと、楽しい時間がぎっしり。
やはりこの経験は今後に生かさねば・・・などと時々考えるのだが・・・・。

以下の写真は毘沙沢再生スタートの春、1995年。

毘沙沢集落は1969年の災害で離村しましたから、その後26年間雪深く人里はなれたこうした大きな家が良くぞ残ったと、今に思えば不思議(いや、前の持ち主の執念)です。そしてそれからさらに17年が経とうとしています。後の17年は私の執念かな。

先人に聞くと、この家は昔「曲がりや」であったようです。写真の左にウイングが突き出していたということです。確かに左右対称ではない。
最初の仕事はごみの処分、宿泊は無理で民宿に宿泊していました。

ま、急ぐ必要もなくて、のんびりでした。

2012年3月9日金曜日

今の毘沙沢

この冬は日本海側で大雪との報道がありましたが、奥会津は例外です。
昨年より少ないようです。
そして、ここ数日の暖かさで少しずつ消えています。

消雪池には絶え間なく大量の水が流れ込んでいます。春の始まりです。
聴いたであろう春の音

「雪の季節に毘沙沢に行くぞ~」と、駒込小学校の仲間が計画を立てていました。
8日は天気も良さそう。雪の状態も初心者向き。
でも直前に、幹事役のTから「母親に大往生の兆しあり、で行けそうも無い」との連絡。
う~、そうだよね。我々の世代は今、そういう年齢なんだよね。

と言うことで、昨日の毘沙沢の写真を掲載します。
歩いたであろう林道

尋ねたであろう家

見たであろう景色

2012年3月8日木曜日

想い出

古民家再生と言うことで毘沙沢に入ったのが1994年秋。
その後、年に60日ほどを毘沙沢で過しながら自ら建物に手を加えてきました。

移住が2001年秋で、ブログを書き始めたのが2008年春ですから、当初の事は投稿していないということに最近気がつきました。
これからはそんなことも少しずつ書きたいと思います。

この17年間にいろいろな方が毘沙沢を訪問しています。
写真は1997年秋に仕事の仲間が訪れた時のものです。
1997年:右から2人目が平野さん

この3人の中の1人、私とは仕事(東京都立大学南大沢キャンパス・北九州大学環境工学部など)の上で幾たびかご一緒した平野忠夫さん。
3年先輩になりますが、残念ながら先月この世を旅発たれました。66歳の若さでした。
都立大の現場での打ち上げ?1991年

夜は囲炉裏を囲んで・・・この時は10月だというのに寒い寒いと言って、私の綿入れを着ていました。
寂しくなります。
左:タウンスケープの山口さん、中央:平野さん、右:都市計画家の高橋さん





2012年3月5日月曜日

南会津吹奏楽フェスティバル2012

4日(日)御蔵入交流館で行われた吹奏楽フェスティバルに出演しました。

前日、新しい橇に楽器など荷物を積んで下山、リハーサルに参加。
リハーサル20時30分終了。田島駅前のグリーンホテル泊。今年で3年目になりました。
今回から登場の橇
当日、9時半集合、各自練習。その後全曲音合わせ。

控えの会場には参加団体が集まりますが、中学生が可愛いですね。
私は彼女らから見るとお爺さん?の年齢、珍しいのか、じっと見てニコッとします。

リハーサル室の情景
今回も泉崎村と石川町からの参加があり少し顔見知りが増えました。
とてもお上手です。
最後は全出演者が舞台の上に立って演奏。

ホルンでの出演は初めてでした。練習時間が少なかったのですが、私としてはまずまずの出来です。益々ホルンが好きになりました。
田島中学校

下郷中学校