2012年1月30日月曜日

遠い帰宅

昨日、吹雪の中を戻りました。
朝7時前に柏を出て、15時に毘沙沢にたどり着きました。
今の時期は8時間が平均値。

林道は28日午後ブルドーザーが走りましたが、その後30cmほど湿った雪が積もったため、吹雪く中の1時間45分の雪上歩行となりました。休みながらですが。

この冬は、日本海側の大雪がテレビで報じられていますが、毘沙沢は昨年には及びません。今のところですが・・・今週は降りそうですね。
戻ったときの室温-2~-3.5度C、早々ストーブを焚きますが、今朝になっても屋根の雪は落ちません。
 この冬は気温が低い・・・現在も降り続いています。

娘は私達より30分ほど早く日本を発ちましたが、毘沙沢に戻った4時間後にはロンドンの空港から電話が入りました。



2012年1月25日水曜日

景観

娘が4年半ぶりに英国から一時帰国。一声「日本・美しくな~い」と言う。父親「アジアだからな・・・」などと。

奥会津に限らず、日本中の風景にかつての美しさは無い(自然そのものは今も美しいが)。
数十年前までは綺麗だと思っていた田園風景も、今は点景がばらばらに見える。

建築家の景観に関する実験には長い歴史がある。そんな中で明らかになっているのが素材の統一にある。昔の風景が美しいのは屋根、壁の素材が限られ、その土地の屋根瓦の色が同じだったり、外壁の漆喰が共通だったりするから、と言うことがそれにあたる。

只見町には「うつくしい只見の風景を守り育てる条例」が有り、「景観形成基準」の中に「建築物等の意匠及び色彩に関する事項」で建築に関するいくつかの基準を定めている。

数年前、蒲生地区で、地域の環境を考えるワークショップが芝浦工大の三井所研究室の指導で行われた。その後、舘岩と只見の経過報告会、三井所先生の講演なども行われている。

しかしながらその後の活動は止まっているように見える。
自然首都は、自然と集落の景観が調和して初めて本当の自然首都となれる。
昨年の大水害のこれからの復旧を期に、建築景観に対して、条例に沿った強い指導力が期待される。
建築家はおせっかいである。

共に仕事をした都市計画家、小坂敏夫さんが61歳の若さで亡くなった。
今日告別式。冥福を祈ります。

2012年1月22日日曜日

奥会津の建築事情

十数年前、只見町では「たもかく」が不動産売買の仲介を行い、田舎暮らしの社会現象の中、民家売買も少しは行われていた。
空き家となった古い民家もそれなりの価格で売れた。

その後、経済事情の悪化、団塊の世代の高齢化に伴い民家の売買は勢いを失い、空き家は増加している。

こうした空き家には売値が付かない。「使ってくれる人がいれば無料で差し上げます」などという話も聞く。
耕作放棄の田畑や山林も同様に不動産価値は低く、経済活動に貢献していない。

一方、建設コスト、大工手間賃は競争原理が働き難く、必ずしも安いわけではない。

これから先、いつまで住み続けるか分からない家に資金がつぎ込めない理由のひとつに、こうした不動産としての資産価値が付かない現実がある。投資をしても将来の買い手はいないのだ。

奥会津には、大きく、骨太の貴重な民家が沢山残っている。しかしこうした理由で年々手付かずの空き家が増え、雪に痛めつけられて姿を消していく。
県も町も村も建設業界も残念ながら打つ手が無いように見える。
市場経済の原理だけでは解決できない以上、一石を投じなくてはいけないと思うのだが。


2012年1月21日土曜日

統計データ

私のブログにどれだけのページビジターがいるのか?
そんなことはどうでも良いので表には出していない。
でも気になるので時々覗く。私以外は見ることが出来ないはず?

統計として処理されていて、瞬時に時間軸で見ることが出来、国別の参加者数、winndowsとmacの比率なども分かる。勿論個人は特定できない。
19日の日本時間の夜、アメリカで1時間に200のアプローチが有ったり、普段でもロシア、スウエーデン、台湾などがあり、ラトビアなどという名前も出てくる。

ページビジター数は月平均3000件。総計数は何故か途中1年半ほどデーターが抜けているが、補うと今までに10万ほどになる。


こうした統計データーがどこにストックされ、どのように使われるのか?またまた私の書く情報がどのように扱われていくのか?インターネットという得体の知れない怪物は便利であるだけに恐ろしい。

2012年1月19日木曜日

ふるさと交流都市




昨日、日の出とともに山を下る。
太陽が山の上に姿を現す前、放射冷却で凍りつくような空気は気持ちよく、いや鼻が千切れそうな恐怖?を味わいながら歩きました。リュックのサイドポケットのペットボトルは凍りつき、白髪混じりのヒゲはさらに白くバリバリに。
空気中の水分が凍りの粒になってきらきら降ります。

それにしても最近のスタットレスタイヤはすばらしい。凍てついた道路も普通に運転できます。
快適なドライブ中の景色を写真でお裾分け。日の出とともに水蒸気がモヤモヤ・・・あまりの美しさに車を止めました。

4年半ぶりに娘が帰国したというので、昨日柏市に移動しました。

写真は柏市で行われる「自然首都・只見」展のポスター。
柏市と只見町はふるさと交流都市です。

来客


この時期の毘沙沢の来客は限られています。
とにかく雪の上を歩ける人以外たどり着けないのですから。

17日、今年初の訪問者は和子さん。
リュックに、生みたて卵、牛乳、イチゴ、野菜・・・を、練習のためフルートも重たいのに・・・汗だくでスキーを履いて到着。

最近、恵子さん和子さんが中心に活動を始めた「またたび屋」http://blog.livedoor.jp/kaede_080930/archives/1610102.html
マタタビは皆さんご存知、猫の好きなマタタビ。その茎を縦に裂いて皮を利用しザルを編む。竹の無い只見で昔から造られてきたマタタビのザルは水に強く、米を研ぐのに良く使われてきた。

そのマタタビを編むのに木製の道具が必要で、それを私が頼まれ、それを受け取りに毘沙沢まで来たというのが主な理由。と言うことは帰りのリュックも重い。

昼食はガレット、その後フルートの練習をして元気に戻っていきました。
実はその直前林道をブルが走りました。帰りは楽々のスキーだったと思います。

2012年1月16日月曜日

建築家

建築設計者とは建築士との認識はあるが、建築家協会の重要性の認識は世の中一般にあまりない。
私も30年の設計者生活の後半に何とか会員になって、なにやら一人前の建築家になった誇らしさを感じたものだ。
そうした仕事から離れて10年が経過したが、建築家は素晴らしい職業集団だと今更に思う。

医者、弁護士と並んで建築家は世の中に無くてはならない職業なのだが、未だに日本ではその意識は低い。

大学の特別講義で槙文彦先生が建築家の仕事は女性的と表現した。日夜、クライアントの為、利用者の為に寝食を忘れてあれこれと考える・・・お節介集団をそのように表現していた、勿論好意的に。

設計者の組織は株式会社であることが多いが、本来利益を目的とせず、法人組織が好ましいと今は亡き先輩から伺って感動した記憶もある。

東日本大震災の復興に多くの建築家が奔走しているのを聞くにつけ、懐かしく嬉しさを感じている。

何処かで書いたかと思うが、5,000人規模の町に、医者は居ても建築家が居ないのはなんとも寂しい。
世界を相手に活躍する若き建築家は増えたが、只見町のような農山村に興味を持つ建築家が見当たらない寂しさを最近また感じている。

2012年1月14日土曜日

フリーハンド・テキスタイル




森の中の工房にとって、NHKの地球テレビ エル・ムンドは世界への窓。
先端の建築家やデザイナーやミュージシャン、画家、絵本作家、雑誌編集者・・・・などが生で語りかけてくれる。

そうした世界の動き、価値観をぼんやりと見ていたら、なんと一番後ろから走っていたと思っていた毘沙沢のフリーハンド・テキスタイルが今や世界のトレンドに成っているようだ。
そうなのだ、山の中の作品が世界の先端を走っているのだ~。

ふたりごとですが。

2012年1月12日木曜日

神さま


山の集落では、今でも神が、都会よりもう少し生活に近いところで存在する。
先日、真さんからTEL「古峰神社のお札が余っているんだが・・・」
私は特定の神を信じるものではないが、神を余らしてはいけないと「分かった、引き取る」と返事し、昨日400円で神を引き取った。

都会に生活していた時は、今よりだいぶ若かったからか、生活の全ては自分で決め、判断し、人生とは自らが演出して歩むものだと考えていた。
ところが、最近は、あらゆる出来事は神様の思し召し、に変わっている。

悪いことも、良いことも神の思し召し、今日は働きたくないな、だらだらしたいな、などと思うときは、これも神様が休めといっているのだ、などと都合よくも使ったりする。
もちろん、この地に生活しているのも神の思し召し。

この変化は、年齢によるところが大きいが、どうやら大自然の中に身を置く事による影響大とも思える。

大震災も神の思し召し、と自然に受け入れる力、この力が現代人に弱いとしたら、自然からの距離が影響しているのかもしれない。
400円で引き受けたお札から、そんなことを真面目に考えたりする。

2012年1月11日水曜日

原風景




白黒写真では在りません。
冬の会津の風景はカラーもモノクロも見分けがつかない。

民家は柱も壁も黒くて、外は白白白。
これが会津の原風景。

日本人の心の故郷、そしてそれが日本人の美意識の一部になっているのはどうもこうした環境に拠り所があるような気がする。

2012年1月10日火曜日

久々に晴れ


久々に晴れて気温も上がりました。
郵便物が局に溜まっています。
いろいろ用事もあります。

そんなことで林道にブル出動。
明日、林道を歩きます。天候は下り気味ですが足元がちゃんとしていればそれも良し。

2012年1月9日月曜日

遠い「おんべ」


昨晩は布沢集落の「おんべ」。
私はこの地に10年も暮らしているのに一度も見ていません。
この時期は毘沙沢から夜出かけるのは大変ということで。
実は下の集落の中に家具材料を置いている家がありますから、宿泊も出来るのですが、なかなか、どうも。

おんべ準備の公民館の晃吉さんから電話「下の家の屋根の雪がすごい・・・ようだ・・」「雪の始末を和義さんにお願いしてるんだけど、屋根の雪までは・・・・頼んでない・・」。
皆が心配してくれているのである。ありがたい。

今朝、和義さんに電話「スミマセンがストーブ焚いて、屋根の雪落としてくれません・・」。
その後下の家から「ストーブだけじゃ落ちそうもない、屋根のグシ(棟)の部分の雪を切らないとダメだ」「あ~そうですよね。お願いできますか・・気をつけてください・・・」。

雪国とは都会では想像できないいろいろなことが起きる場所。今日は一日毘沙沢でも除雪作業。今朝の外気温-13.5度C、寒い日が続いています。連日雪。

写真は、我が家の前に捨て置かれた蔵の今日。

2012年1月7日土曜日

雪堀




本格的な雪堀が始まりました。
毎年同じ事をしています。
慣れてはきますが、体力は衰えてきますから、だんだん辛い仕事になっています。
寒いし、冷たいしね。

それでも、これをしないと、これから先の雪が心配になりますから・・・。

会津の雪は重たいと言いますが、屋根から落ちた雪はさらに重たく硬いのです。半端じゃない。
高いところで3mほどに積もった雪を崩して飛ばすのは実に大変な作業です。
幸い除雪機は順調です。

2012年1月4日水曜日

戻りました





地平線から上る真っ赤な太陽を右に見ながら一路只見に戻りました。
例年通り、かねまんの親父に挨拶し餅なぞご馳走になり、郵便局で年賀状を受け取り、会う人々に今年もヨロシクなどと言いながら。車庫に車を入れて、簡易郵便局でお知らせ版を受け取り・・・。

今年は林道の圧雪がすごい。とにかく頻繁にブルが入ってくれています。
これなら車も入りそうだね、などといいながら、それでも1時間以上の時間を掛けてのんびりと。

消雪池の威力はすごい。入り口の前はすっかり溶けています。

家の中は-2度C、早々にストーブに火を入れ、蕎麦茶に玄米パンで休憩、外はまた激しく降り出しました。家の周りの雪を片したいのだけど明日もまた雪の予報。