2009年7月31日金曜日
幸せな家具
ゴルフをする人で小金井カントリー倶楽部を知らない人はまずいないと思います。
歴史があり、格調が高く、会員には簡単になれないことでも有名です。
4年前にクラブハウスが新しくなりました。
設計は私のかつての仲間。という事で私の作った家具が置かれています。
私は仕事として現在までに180点ほどの家具を作りましたが、ほとんどがハードに使われているはずです。
そんな中でこの家具は半分は飾りですから現在もほとんど新品。
少し前に現在の状況写真が送られてきました。
うむ、健在です。製作者としてはホッとします。
ちなみに、クリで出来ていて拭き漆で仕上がっています。漆の仕事は舘岩の藤原さんです。
2009年7月30日木曜日
振り子時計
我が家には機械式の振り子時計が3つあります。
20年数年前に古道具屋で2つを購入し、一つは機械を取り出して新たに箱を作りました。
15年ほど前になります。ナラのシェーカー風のこの時計は木工を始めた当初の作品です。
元の箱には製作がAICIKEN CLOCK-MAKERS´UNION´Sとあります。
販売店も記載されています。京都三条通寺町の喜多山時計店。
もう一つはSEIKOSYAの物で、文字盤に手書きで13から24までの数字が書き込まれています。
3つ目は、女子美大名誉教授の英子先生から頂いた物で、カツラの板を切り抜いた物に機械を取り付けています、振り子もオリジナルです。
これら3つの機械は、いつごろの製作か定かではありませんが今でも立派に時を刻みます。
私はこうした綺麗なそして単純な機械が好きです。
2009年7月28日火曜日
2009年7月26日日曜日
布沢の森の音楽会
今年で5回目になる潤子さんのピアノ教室の発表会。
今年から地元音楽愛好家を交えて「布沢の森の音楽会」となりました。
前半は主に生徒さんのピアノ発表。
皆さんとてもステキでした。一人ひとりがアーティストでした。
後半は色々参加の音楽会。
ピアノ、オカリーナ、声楽、フルート、コルネットが複数参加しました。
私は、コルネットのソロ、オカリーナアンサンブルで参加しました。でもコルネットは少し無理があったようです。
でも決してくじけてはいません。良い勉強になりました。
次は、8月1日のコーラス演奏目指して特訓です。
追伸:東京から駆けつけてくれたWさん、Tさん遠い所からわざわざありがとうございました。仙台のSさんまたTS聴かせてください。
2009年7月25日土曜日
田島吹奏楽団・練習
吹奏楽の練習は毎週土曜の夕方から行われます。
今日の練習場所は、会津田島駅の裏手に位置するお蔵入り会館。
ここは新しい施設で、空調が完備していますしスペースも広いので快適です。
私の家から50キロほどの距離になります。ちょっと大変ですが1時間ほどですし、買い物とかの用事をついでに済ませます。
今日はコメリでプリンターのインクカートリッジを買ったりしました。
帰りにはヨークベニマルに寄って閉店まじかの安売りを仕入れます。
社会人の吹奏楽団は会津地域では田島と若松の2団体しかないようです。
中学、高校の吹奏楽部は少なく、ほとんどのサークルは運動部だと聞きました。
どうりで会津に文化の香りを感じない・・ような気が・・・少しします。
2009年7月22日水曜日
小さな田んぼ・早2ヶ月
2009年7月21日火曜日
コルネット
田島吹奏楽団の練習日は毎週土曜日。
すでに6回の練習に参加しました。
練習参加人数はその時々で差がありますが、8月22日に演奏の予定が決まってから徐々に増えてきました。
私は40数年ぶりの再開ですから大変です。激しい音符の移動に頭と指がついていきません。
目で音符を見て、脳から指と唇に信号が行って、耳で確認して音を調整するという作業を瞬時にするのですから大変です。まだその回路が修復できていません。
どうやら息を吹き込む肺の力も落ちているようです。この強化にも時間がかかりそうです。
当初考えていた以上に40年のブランクは大変であることが判ってきました。
団員の皆さん、速い曲、リズムの難しい曲、とにかくついていけません。状況を察してしばらくは甘く見てください。
今月26日に分校でコルネットのソロ演奏の予定。あ~困った。
連休の林道は賑やか
2009年7月19日日曜日
バイオリンとオカリーナ
2009年7月17日金曜日
合成洗剤
2009年7月14日火曜日
昔話
毘沙沢のかつての住人は現在明和大倉に5軒が移り住んでいます。
芳二さんはかつて我が家の隣の曲がり家に住んでいました。
今でもよく毘沙沢に来ています。自分の土地の目印に杉を植え、草を刈ります。
自分が死んでも何処が自分の土地が判らなくならないように。
「こういうのを死に欲というのです」と笑います。
木を切り、山菜、きのこも収穫します。
毘沙沢は昔から田んぼを作ってきましたが、いつも米不足に困っていたようです。
芳二さんは小学校(布沢分校)を卒業すると田の開墾をしましたが思わしくなく、親類を頼って単身川崎に出たようです。
建設関係の事務をやり学校に通い、その後兵隊から捕虜。終戦後毘沙沢に戻り、大工になったのです。
私の祖父も明治の終わり?に京都岩倉から東京に出てきたと聞きます。伊達政宗とても中央を目指したわけで、いつの時代も地方はメジャーにはなれなかった歴史を身近に感じます。
地方の時代はやはり夢のまた夢なのでしょうか。
2009年7月12日日曜日
2009年7月9日木曜日
2009年7月8日水曜日
超高層の曙
5日に姪の結婚式があり上京。
その後、建築家仲間との飲み会。鎌倉の美術館での坂倉順三展などなど。
その間に霞が関ビルの最近の様子を覗いてきました。
私が山に引っ込む前に霞が関ビル周辺で大きな動きがあることは知っていましたがこんなに早く。
あの狭かった建物へのアプローチが広々と。そして決して出来ないと思われた食堂街も見事に新しく。
新橋方面からは障害物が無くなり全景を見ることが出来ます。
現在、西日本新聞で「超高層から茅葺きへ」という記事が連載されています。池田武邦氏の回顧録で100回の連載と聞きました。
現在は半分が終了し、霞が関ビル誕生に絡む話は終わって、日本設計誕生にたどり着いています。
そうです歴史に残る建物なのです。
その建物が陳腐化することなく絶えず新しくより魅力的に生まれ変わっているということは素晴らしいことだと思います。組織で設計した建物は記念碑ではありませんから絶えず時代の要請に合わせて変化してよいのです。
2009年7月2日木曜日
こぶし苑の椅子その後
2009年7月1日水曜日
勉強机
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