2019年2月27日水曜日

少し昔の毘沙沢ー7

1995年
依頼工事が一段落したのち、発注していた外壁材が届くまでトイレ用のタンクの埋め込みや、父(電気工事資格者)の手伝いで配線工事などしていました。
依頼工事が終わったころの姿

囲炉裏のあたりから北の開口を見る

この年は雨が多く、7月中旬からの長雨で林道が崩れて通行止め。
それでも、無理をして8月12日に舘岩の㈱オグラさんからの材料が入り、外壁工事が始まりました。
8月中旬、北側の外壁

昨年亡くなった父・当時76歳だったのかな

秋までの間に、職場の仲間(10月8・9日:高橋さんと笠井さん)の応援も戴いたりして、遊びながら、少しづつ形になっています。
9月10日にトイレが使えるようになり、10月にはストーブmorsoとカナダ製の木製既製品窓枠が届きました。
10月末ストーブ設置
窓枠も一部11月初めに取り付けました


2019年2月26日火曜日

南会津吹奏楽フェスティバル

また今年も「南会津吹奏楽フェスティバル」が近づいてきました。

3月17日(日)13時30分開場、14時開演
場所はいつもの会津田島・御蔵入交流館「文化ホール」
入場無料

私達は、今年も出演します。
地元の中学生や高校生と共に演奏できるのが楽しみです。

お近くの方も遠方の方も、是非お出かけください。

2019年2月25日月曜日

少し昔の毘沙沢ー6

1995年
セルフビルトです、と説明しますが、当初(江戸時代)以降の増築部の解体、屋根の鉄板化、骨組みのゆがみ直しは地元の大工さんや屋根やさんにお願いしています。
北西部の増築部は解体減築

ゆがみ直しで周辺は20~30センチほど持ち上げました

当初、屋根は茅葺のままで・・と思いましたが、すでに事情が許さない状況でした。
屋根は茅葺の上に載せています


現場監督(#^.^#)

工事は1995年5月中旬から6月末の間で行われたと思います。
その間私は5回ほど足を運んでいます。

そして、この間に次の段取りをし、7月1日に外壁などに使う姫子松材の板を舘岩のオグラさんに発注。

2019年2月23日土曜日

少し昔の毘沙沢-5

1995年になって
春を待ちかねて2月11日「只見の雪まつり」・・・ふる里泊
3月25日、たもかくにて改装打ち合わせ・・・福田屋泊
4月15日、雪の残る毘沙沢林道を初めて歩き、現地にて大工の酒井さんと打ち合わせ、片付け・・・只見荘泊

5月3・4日、連休で東北道が大渋滞、そんな中、家族で片付けなどしながら春を楽しみました・・・松屋泊
この時が、毘沙沢での活動が始まった記念すべき日です・・・もうすぐ24年が経ちます。
1995年5月4日





2019年2月20日水曜日

少し昔の毘沙沢-4

1994年12月3日、この秋4回目の毘沙沢。
翌年早々の工事の件で、「たもかく」の吉津さんとの打ち合わせ・工事契約だったのではないかと思います。
屋根の雪下ろしの為解体した下屋

この冬の屋根の雪は、前の持ち主にお願いすることになっていましたので、そのためすでに下屋の一部が取り壊されていました。
そして雪が降り始めていた。

この時の家の内部の写真です。
入り口側を見る

山の仕事道具

奥座敷

コタツの場所が囲炉裏
帰り道、木賊温泉に寄っています。
娘と木賊温泉にて

2019年2月18日月曜日

工房の仕事

冬の時期も工房では、もの造りの仕事が続いています。
いやむしろ、もの造りがあるからこの寒さに耐えられるのかもしれません。

昨日、依頼品の納品で二子玉川まで出向きました。
今回は依頼者の母親の布などを裂き織に使い3点を作りました

二子玉は若い人で賑わっていました

昔、この辺りで釣りしてました

二子玉川は中学生の時、何回か釣りに出向いたところ。
大学生の時に玉川高島屋の工事現場でアルバイトをしたことなどで懐かしい場所でした。

久々の二子玉(ニコタマ)は大きく変化していましたが、多摩川の景色はむかしを偲ばせました。

都会への移動途中、針生の工場で板の加工のお手伝い。
ナラの大盤を薄く加工して、「1枚板の扉」に仕上げる作業。
ミズナラ板の加工

自ら手は下せない環境ですが、25年に及ぶ楢材との関わりがその判断力を養っていることに自ら少し驚きました。
経験というのは人に大きな力を与えるものなのですね。

屋外用のカラマツの椅子は、おおよその加工が終り、組み立てを始めています。
福島県産材の椅子・製作中

2019年2月14日木曜日

少し昔の毘沙沢ー3

1994年9月10日、当時この町で唯一不動産仲介などしていた只見木材加工協同組合の吉津耕一さんを訪ねています。
「田舎暮らし」などの雑誌に仲介物件などを掲載しているのを見ての訪問でした。

この時すでに、この町では空き家が少しづつ出てきた時期だったのでしょう。
長浜と幾つかの空き家を、若い酒井さんにご案内頂き、最後にたどり着いたのが毘沙沢でした。

毘沙沢林道にはいくつかの別荘がすでに建ち並んでいました。
お隣のIさんの、藤吉さんから譲り受けた家も改装が終っていた。

その後、10月15日に富美恵と下見に来ています。
11月5日に購入を決め、12月3日に契約(梁取長佐宅)。
以下3枚は1994年10月15日の毘沙沢
後ろの土蔵と神社は今はありません


白山神社の脇から撮影

その当時の写真を見ると、まだまだ田畑が耕作されているのが分かります。
今見ると、とても懐かしい風景です。

2019年2月12日火曜日

林道圧雪情報

この冬は雪の少ない年になっています。
毘沙沢の昔の人達のお墓の墓石の頭が未だに見えています。

この写真は数日前、今年初の訪問者、仙台の佐野さん。
本当に雪が少ないですね。

次回の林道圧雪は16日(土)午前中との連絡を受けましたのでお知らせします。

少し昔の毘沙沢ー2

1992年末、設計事務所の仕事は相変わらず忙しかったのですが、バブル崩壊後多少時間が出来たのだと思います。
人並みに週末休むことが出来るようになり、木工教室に通い始めたのはそんな時期でした・・・私44歳。
縁あって、千葉県八街市に工房を構える榎本正さんの教室でした。
真ん中が私の木工の師匠榎本さん
昼食時には庭でお弁当を食べながら色々と夢を語りあいました

そして榎本さんの企画で、2つの視察に参加したのが会津との関係の始まりでした。
私達は会津とはそれまで全く縁がありませんでした。

1.1993年春の南会津舘岩の製材所、オグラさん・・・きこりの店が出来たばかりの時でした。
未だチップの仕事もされていて、土場には沢山の広葉樹が山積みでした。
ツアー参加者・たかつえのペンション前
舘岩:㈱オグラの土場・1993年
説明は小掠社長
2.翌、1994年春、平出商店の平出さんの案内で新潟県三条市に木工道具の製作工場を数か所見学しています。
三条市の刃物鍛冶工房

特注カンナ工房

参加者の記念撮影
そして、視察後、只見町を通過したのが最初のこの町との出会いでした。
その時の只見町の印象は、山に囲まれた木材の豊富な地、そして山を越えれば刃物の町がある・・・木工家具製作に適した場所、と見えました。

2019年2月10日日曜日

少し昔の毘沙沢-1

このブログは2008年3月24日から始まっています。
2008年から現在までの間11年、毘沙沢の事はこまめに書いてきましたので、このブログをひも解くことで多くを想い返すことが出来ます。

毘沙沢に足を踏み入れたのが1994年の秋です。
ですから、ブログを書き始める前、1994年秋から2008年3月までの13年半については記録がありません。
これを、これから少しづつ、過去の写真を頼りに想い出してみようと考えています。
初めて足を踏み入れた時の毘沙沢(1994年秋)

未だ毘沙沢住人の生活が続いていました(藤吉さんの脱穀作業)

「少し昔の毘沙沢」で思いつくままに書いてみようと思います。

過去の訪問者の懐かしい写真などが登場するかもしれません。
お楽しみに。

2019年2月7日木曜日

雪の中へ戻りました

納骨などの行事を終えて、昨日戻りました。
2月に入ると気分は春、そうです立春ですから。

それでも例年ですと、雪まつりのこの時期が一番厳しい季節なのですよ。
でも今年は嘘のように雪が少なくて穏やかです・・・助かります。

今回は、出かける時と、戻る時に仕事を少々。
はりゅうウッドスタジオで打ち合わせ。
大盤のナラを、扉の鉄扉に貼り付けるというプロジェクト。


今までに経験のない仕事で、さらに今の季節は毘沙沢での作業が出来ませんので、作業は製作所にお願いしています。

これチョッと楽しみです。
お世話になります。

2019年2月1日金曜日

林道圧雪情報

次回の毘沙沢林道の圧雪は2月5日(火)あるいは6日(水)午前中を予定しているとの連絡がありました。

なを、今後の降雪量によっては変更になることもありますので、ご承知おきください。