2019年7月22日月曜日

町制60周年記念コンサート

町の行事で、ふるさと交流都市である柏市から市立柏高校吹奏楽部の子供たちが来ました。
総勢140人。
演奏終了後の記念撮影

私達には馴染みの石田先生、北村先生がいらっしゃるという事で、開場少し前に只見中学校の体育館に出かけました。
すでに体育館前には列が出来ていました。

14時30分開場、15時開演。
開演前に幸いお二人の先生に、少々離れた場所からでしたが挨拶が出来ました。
演奏直前の石田先生・北村先生

プログラムには演奏曲35曲。
終演時間17時とあります。

子供たちは、2時間休むことなく熱演。
踊って歌って演奏してと・・・・いつものサービス満点でしたね。


柏市となじみの深い我々には嬉しい企画でしたが、帰り道富美恵と「地元の子供たち、中学生や高校生、小学生もあまり居なかったな?」と会話しました。
新潟からという楽器を持った高校生が前の方で陣取ってた。

折角沢山の楽器の得意な高校生が来てくれたのに、地元の子供たちとの接触が無かった?としたら少々残念。

あるいは、2泊したんだから演奏会以外の場でそうした企画があったのかな。
だとしたら、参加したかった。

いずれにしてもこうした企画をして頂いた関係者の皆さまには感謝です。
またお願いします。


2019年7月18日木曜日

只見町移住・定住推進プラン

町が今年度からスタートした「只見町移住・定住推進プラン」では、5年間の実施期間に200人の移住・定住者を受け入れるとしている。
1年間で40人となる。

そうした事業活動の核となるのが移住コディネーターで「・・・移住総合窓口を設置し、移住コーディネータが窓口を担う・・・」と書かれている。

また空き家の利活用に関しては「・・・地域おこし協力隊を採用し、空き家バンクのPR強化と全国版空き家バンク登録の随時拡大を図ります。・・・」とあります。

「広報ただみ」7月号に新たに採用された移住コーディネータと移住定住支援協力隊のお二人が紹介されました。

また、ユネスコエコパークの今後の事業の実施の中に、古民家の実態調査がとりあげられています。

以上、ここで取り上げた三点は私達明和自治振興会の中でも長い事議論がされてきたことです。
しかしながら日々の暮らしの中で、一地域での活動には限界があり具体的な形にはなっていません(空き家バンク開設の後押しや数件の空き家調査や利活用・事業化のための提案などはしてきましたが)。
今回町がこのような形で動き出したことは、移住定住者にとって喜ばしいことです。

町民参加はそんなに簡単ではないと最近悲観的ですが、町の前向きな姿勢を応援したいと思います。
生天目さんと今関さんに期待します。
そして、移住定住を考えている皆さんには大いに活用いただければと思います。

2019年7月11日木曜日

その後の訪問・・・その7

建築家にとって、自らが手がけた仕事がその後どのように変化しているか、気になるものです。
大袈裟ですが、どのような仕事でも多くの仲間と命を削って形にしてきたのですから。

今日、都立大学南大沢キャンパスに出かけてきました。
正確には現在は首都大学東京ですが来年度から昔の名称に戻ります。
名称が戻って何だか落ち着いた気持ちです。
大学広場から講堂を見る・手前は空さんの石彫

光りの塔内部・須藤さんの時計

講堂ホワイエ

大学広場から情報ギャラリーを見る
講堂大ホール

南大沢駅前は、賑やかな大学門前町になっています。
構内は今の時期高校生への説明会などが行わてれいるためか賑やかでした。
学生食堂

竣工から28年が経過していますが、私達のデザインは、ほとんどがそのままの状態で維持管理され使用されていました。

大仏の平瓦は未だにきれいですし、外壁の打ち込みタイルは時間の経過を感じません。
いや、味わいは深まっていますね。
外構で大量に使用している陶製のブロックは予想通り役割を果たしています
素材の選択は間違っていなかったようです。
教養部棟中庭

28年前、私は43歳。
その時の気持ちに戻れる場所があることは幸せな事です。
この仕事に係った多くの皆さんに、現在の状況を報告します。

この仕事の詳細は、下のラベル「昔の仕事」をクリックして「昔の仕事・・・その18」に有ります。


マリンバ演奏会

昨日、地元小学校でマリンバ演奏会がありました。


マリンバは生演奏を聴く機会があまりありません。
だいぶ前に熱塩加納村で聞いた演奏がとても素敵だったので、是非、と思っていました。

演奏は「福島復興応援コンサート」実行委員会が主催。
只見町を皮切りに福島県を巡回します。

マリンバはアフリカが起源とのお話、木琴の仲間ですがマレットという叩く棒の種類が沢山あって、マレットが変わるとまるで別の楽器のようになります。

終わりに、子供たちが楽器の音に合わせて踊りました。
参加型の演奏会、楽しいですね。

次回は、今月20日に市立柏高校の子供たちの演奏が、只見中学校で15時開演。
楽しみです。

2019年7月7日日曜日

少し昔の毘沙沢・・・10

昨日、南会津町針生にお住いの岡村健さんご夫妻をお尋ねしました。
先日の中村敦夫さんの「線量計が鳴る」の開催に尽力し、原発の責任は我々世代にあると3・11以来「さよなら原発」の活動を継続しています。
岡村さんご夫妻
奥様は料理のスペシャリスト

岡村さんは元朝日新聞の記者で、取材で針生につながり、その後移住しています。
私達とは、2004年にお会いし、その直後に取材を受けました。

2005年2月19日の記事、この時書いて頂いたコラムが毘沙沢のマスコミへの初デビューでした。
毘沙沢の記事

その時の文面から「少し昔の毘沙沢」を感じることが出来ると思いとりあげました。
この時期は未だ除雪という事をせず、冬は完全に埋まっていました。
懐かしいそんな時代の記事です。

2019年7月5日金曜日

熱海ホテル

富美恵の母は大正14年生まれ。
その母の母である富美恵の祖母・山脇里子には兄(岸衛)がいて「とてもハイカラな人で、仕事で海外に出かけると、珍しい土産を戴いた」という話は義母から聞いていました。

最近調べていると、岸衛は熱海ホテルの創設者であることが分かりました。
岸衛(きしまもる)・・・若い時にニューヨークで勤務、帝国ホテル副支配人、大正11年11月熱海ホテルを開設、昭和22年~23年熱海市長、その後衆議院議員、昭和23年内閣観光事業審議会理事
熱海ホテル

熱海ホテル(熱海市海光町)は、大正11年の開業後大正13年9月の大震災で一時営業停止、昭和5年山田馨(大船田園都市株式会社の建築技師)によりスペイン風の建物に改装、昭和20年進駐軍に接収、昭和27年国際興業により再開、昭和52年閉館

熱海ホテルあるいは岸衛についての詳しいことは良く分かりません。
ご存知の方がいましたら、情報戴けると嬉しいです。

2019年7月4日木曜日

その後の訪問・・・その6

このシリーズ、昨年の4月以来になってしまいました。
「昔の仕事・その1」で2016年7月1日に書いた「蓼科荘」へ7月2日に出かけました。
屋外にバーベキューハウスを増築して以来の訪問ですから18年ぶりです。
ダイニングスペース
敷物・橋本京子

母屋は1996年4月開設ですから23年が経過してます。
その間に、素焼きの大仏平瓦が凍害の為、新たな瓦に吹き替えられました。
それ以外はほぼ当時の姿を留めています。

訪問前に、施工の時の所長Tさんに問い合わせたり、事前に現地に何回か電話を入れましたが通じませんでした。
外観が確認出来ればと出かけましたら、何と運良くこの日管理の為東京から来ていたIさん(HUI)にお会いすることが出来ました。
そして、設計者であるという事で中を丁寧にご案内頂けました。

中に入って驚いたこと。
あまりに当時のままでありました。
時間が止まっていたかのような状態でした。
リビング

タピストリー・高橋英子

玄関ホール

客室・サヴォワ

客室・トスカーナ

客室・チロル

客室・チロル

客室・夫婦の部屋

客室・夫婦の部屋
「当時はベットカバーが掛かっていた」と・・デザインした美樹さん
照明器具も変わったかな・・・

母屋階段

正面玄関前にて

迎賓館であるためか、丁寧に大切に使われてきたことが分かります。
しかし、最近使用頻度が少ないとも思われました。

いずれにしても、現在も大切に維持されていることは確認できましたので報告します。