2020年5月31日日曜日

想い出の中に・・・その7

2年目の1996年も年間68日ほどを毘沙沢に遊んでいます。
外壁の板張りと窓のセッティングがおおむね終了。
1996年秋の状況
煙突はこの状態でしばらく使っていました。
法律違反

私達が訪れたた当初から、毘沙林道には「たもかく㈱」の開発による別荘が十数軒建てられていました。
東電の電信柱にも「別荘線」と表記されていたと思います。
しかしながら、一般の別荘地のように行政との間で開発手続きが行われたものではなく、地元の布沢区との間の調整も必ずしもきちんとしたものではなかったことで、あれ・・という事が時々発生しました。

この年の冬だと記憶していますが、雪の季節の最初の訪問者(林道の雪の上を歩いた)、職場の後輩、宮崎君と福西君が来た時。
林道の下に車を止める場所が無いためにちょっとしたトラブルが発生しました。

冬の別荘利用者の駐車は未だに解決していない話題です。

ともあれ、遅いので心配して途中までカンジキを履いて降りていくと、足元はグショグショの福西君とスキーを履いてエッチラコッチらの宮崎君に出会えてホッとした記憶が有ります。
その時の写真です。
ストーブの前で
福西君、宮崎君と共に
先日、用事で他県を越えて毘沙沢に出かけました。
朝はウグイスとホトトギス、昼は春ゼミが激しく鳴いていました。
気持ちの良い季節です。
久々に家の周りの草払いで汗をかいてきました。

2020年5月30日土曜日

想い出の中に・・・その6

1996年春。
この頃、毘沙沢林道の春先の除雪は旧毘沙沢住人の農作業に合わせていたようです。
その為5月の連休でも終点までは車が入らない年もありました。
5月の連休の林道

連休に我が家を訪ねた兄の家族は、最後の100メートルぐらいを、5月だというのに雪上歩行。

私達は相変わらずのペースで、柏と毘沙沢を往復し、改装作業をしていました。
改装とはいえ残材の処分が半分です
外壁塗装の父

昔の石の暖房器具
作業の合間に時には周辺の観光地を訪れています。
昭和村方面

田子倉ダム

また、この頃から職場の同僚あるいは仕事仲間が手伝いもかねて遊びに来るようになり、こうした時は、イワナの里によく出かけました。
前年10月に訪れた高橋さんと笠井さんは
この年は6月23日の訪問でし
9月22日、山口さんとイワナの里

夏休みにバイクで、宮崎君


2020年5月24日日曜日

想い出の中に・・・その5

1996年の冬、初めての豪雪の洗礼。

雪はスキー場で体験したぐらいの都会者が、豪雪地・奥会津の、地元の方々も嫌がる山奥の家ですからこれは大変な体験でした。
しかし、当時はそんなことは少しも気にしていませんでした・その恐ろしさが分かるのはその後何年か後になります。

1月14日・煙突が落下
屋根の上で固まって・・落ちます
硬くて重たい雪です

最初の冬の薪ストーブ

・屋根の雪が地上に落ちた雪とつながって、屋根を壊す。
・雪のために家に入れなくなる。場合によっては家から出られなくなる。
・新雪のため、カンジキを履いても歩けない。

そんなことは、頭の中では分かっていても経験しないとその恐ろしさは実感できません。
2月3日・大雪後の只見町小林
この日は林道を歩けず、そのまま引き返しました

天気の良い日は実に爽快

最初の冬は、そうした豪雪が、むしろ面白い、楽しい。
そんな一冬でした。

2020年5月23日土曜日

想い出に中に・・・その4

1995年は、とにかく毘沙沢に出かけるのが面白く、土曜日の早朝柏の家を出て10時30分には毘沙沢に到着。
そんな生活でした。
勿論、月~金は新宿に通勤していました。
委託工事が終わった頃の毘沙沢

この頃、母を亡くして数年でしたので、父を時々誘っています。
駒込駅を山手線の始発に乗り、柏駅で5時に待ち合わせ。
彼も、面白がって良く付き合ってくれたものです。
ゴミなどの片付ける父

この年は、雪までに外壁を何とかすることで一生懸命でしたので、ごみの片付けは父の仕事でした。
委託工事後の北側

北壁面から少しずつ

10月28日、一部に既成の木製サッシュを取り付けています。
雪の降り始め、玄関のあたり
秋の終わりに薪ストーブを搬入、セッティング。
薪ストーブ

この年は雪が早く、12月9日にはカンジキで歩く初めての経験をしました。
年間27回往復、69日を毘沙沢に遊びました。
12月9日?あるいは翌年の1月2日

2020年5月21日木曜日

想い出の中に・・・その3

1995年5月の連休の後、依頼工事が始まりました。

1.増築されていた入り口部分の下屋と、北側の台所、風呂場、2階の二部屋の撤去。
2.長い年月の雪の重みで変形していた構造のゆがみ直し。
3.茅葺が傷み雨漏りしていたため、金属屋根をのせる。

この工事は6月いっぱいを要したと思います。
その間にも室内のゴミのような物を片付けに4回ほど出向いています。
屋根葺き工事


ゆがみ直しの作業

この間、トイレが使えないので、宿泊は民宿松屋を利用。
汚水タンクが7月9日に届き、30日に埋めてもらっています。
また、電気工事は私の父が専門で引き受けてくれ、7月15日から始まりました。

しかしながら、その後7月29日に大雨が降り、林道が一部崩れて車の通行が危ないという事件が発生しました。かろうじてギリギリで車は入りましたが、今考えると危険な行為だったのだと思います。
現場監督

そんな状況から、29日に初めて家の中にテントを張って宿泊。
しかしトイレは未だ完成していませんでしたので、外に穴を掘って用を足すという事がこの後しばらく続きました。
ま、誰も見ていませんからできたことですが。

2020年5月19日火曜日

想い出の中に・・・その2

購入を決めたころは、舘岩のオグラさんの「きこりの店」が通過点でしたので、宿は「たかつえのペンション」でした。
1994年12月3日たかつえペンション前にて

年を越えて、2月11日の雪まつりは「民宿ふるさと」泊。
只見町の雪まつりに初めて出向きました

3月25日「旅館福田屋」泊、これはたもかくの吉津さんと改装工事の打ち合わせが目的だった思います。
この年初めて林道を歩いて毘沙沢にたどり着いた4月15日は「民宿只見荘」泊。
これは、一冬越えた建物の様子を確認するためでした。

そして、家族4人で初めて出かけた5月の連休は「民宿松屋」に宿泊しています。
この頃、毘沙沢の家は宿泊できる状況ではありませんでしたが。
それでも、今写真を見るととても楽しそうです。
1995年5月4日





2020年5月17日日曜日

想い出の中へ・・・その1

1994年当時、私は新宿の、雲にも手が届きそうな超高層オフィスで多くの時間を過ごし、コンクリートで固められた住宅で生活していました。

小学校の頃は、都心ではありましたが、家から半径数キロほどは自分の庭のように、いつも駆け回っている少年でした。

そんな私が、只見町の「たもかく㈱」の吉津さんを訪ねたのは1994年9月10日、私が46歳の時です。
当初の毘沙沢の家


白山神社から
酒井さんという若い方に案内され、空き家を幾つか見せて頂いている中で毘沙沢に巡り合えたのは、秋の始まりの良い季節でした。

その後、10月16日に妻と出向き、再確認。
藤吉さん夫妻の脱穀

白山神社

そして、11月5日に購入を決め契約しています。
決め手は、その時の都会の生活から一番遠い場所いや環境。

1994年当時の部屋内

毘沙沢の最初の印象は「隠れ家」あるいは「タイムスリップ」でしょうか。

筆を置いて、未だ大して時間が経っていませんが、その間多くの方から「残念・・・」の言葉をいただきありがとうございました。
その励ましを受けて、今後は、1994年からこのブログを書き始めた2008年春までの14年間を記録と記憶を頼りに振り返ってみようと思います。