2019年4月21日日曜日

山の楽しみ・・・きこり

山の中にいると、季節の変化がとても身近に感じられます。
コナラが芽を出す前に薪にする木を伐らなくては。

2日前に数本倒しました。
そして今日は運べる大きさに刻んで運びました。

ナラは重たいですね。
薪の長さに切っても重たくて運べない物は現場で割ります。

廃車直前のエクストレイルは良く働いています。
新車になったらこの仕事は無理だな。

2019年4月16日火曜日

山の中に戻りました

桜が満開の塩原を通りました。
春爛漫。
塩原の桜

毘沙沢は、未だ雪が残ります。
でも、雪解けと共に福寿草が咲き、フキノトウが目を出しています。

まだまだ冬景色ですね

家の前の仮設の消雪池をかたずけ、工房の看板を出し、冬から春への模様替え。
看板が出て少し春

全損の車は、新しい車が届くまでは使えるとの事です。
新車が届くタイミングで保険会社が手配する引き取り業者に引き渡す段取り。
この車可哀そうだけど、新車何だか待ち遠しい。

2019年4月13日土曜日

ウクライナへの旅ー最終

4月12日朝、日本に戻りました。
一晩寝て、外の景色を見てTVのスイッチを入れると、昨日までが嘘のようです。

昨日は早朝に電球が3か所も点かない暗い客室で目を覚まし、「チェックアウト・プリーズ」などとフロントで話、でこぼこ道をタクシーで空港に移動。
ホテルで聞いていたタクシー代、現地通貨40フリヴニャ(160円)を100(400円)と主張され、仕方なく支払う・・・ウクライナは、ちょっと危険な国と聞いていましたが、私達はそのようには感じませんでした。
注意するように聞いていたタクシー代金、100に屈したのが唯一の失敗。
でも、すでにそれも懐かしい。


2017年、両国外交関係樹立25周年で「ウクライナにおける日本年」が開催されています。
その時に出版された「夏目漱石・夢十夜(ウクライナとロシヤ語に翻訳)」を戴きました。

日本大使がとても流暢なウクライナ語を話す、などと、日本に好意的でした。

未だ、ユーロ圏に属せず、発展途上の国とも見えますが、若い希望に満ちた国と感じました。
キエフ空港に展示の夢の住宅計画

キエフの郊外

果たして再び訪ねる機会があるのか、それは分かりませんが身近な国として注意していたいと思います。

もしこのブログを、ウクライナの方が見てくれているとしたら、お世話になったお礼を申し上げます・・・ありがとうございました。


2019年4月11日木曜日

ウクライナへの旅ー8

4月9日(火)、POLTAVAの丘の上の教会でエマが洗礼を受けました。
ゴッドファザーは友達のロマン。
ゴッドマザーは妹のナターシャ。


神父と打ち合わせ
左がロマン、右がナターシャ

12時から30分ほどの儀式の後、写真をたくさん撮って、その後会食。
会食は17時ぐらいまで続きました。
食べきれない料理でした

こうした機会のお陰で、遠い異国の多くの家族とお会い出来ました。
ウクライナの愛国心なども感じました。

10日、車でキエフへ移動し、現在空港の近くのホテルで書いています。
充実した日々でした。
楽しい経験でしたが、くたびれました。

あす、早朝から帰国の途につきます。

2019年4月10日水曜日

ウクライナへの旅ー7

4月8日(月)朝、地下鉄にて再度中心地の教会へ。
地下鉄は、ソビエト時代の物で地下100mに駅舎がある。
これは核シェルターとしての役割を持つとの説明。
100mを一気に下りる

地下駅

月曜日の通勤時間と重なり、ラッシュアワー。


午後、電車にてキエフの南東300キロほどのPOLTAVAという町に移動。
28万人ほどの都市。
娘の旦那の妹家族が住む町で、今回エマがこの地で洗礼を受ける予定。
電車にてキエフからポルトバへ

アパートの一室で歓迎の夕食。
ポーランドの家庭料理、手作りのソーセージ、手作りのワインなどでおもてなし。

エマの従妹になる2人





ウクライナへの旅ー6


4月7日(日)、天気よし、昼間は春のような暖かさ。
昨晩、今朝、昼とウクライナ料理を食す。
すこぶる美味なり。
キノコ豊富にして、肉を多用す。
アジアと西洋のはざまで、料理には中国の要素あり。
勿論ロシアの影響強し。


一日かけて、キエフの旧市街など中心地を見て歩く。
ソフィア大聖堂など1000年ほど前からの歴史が残る街には、教会が多い。

「展覧会の絵」で多くが知る「キエフの大門」に感激。
外部は最近の物だが、内部には創建当時の遺構が残る。
現在のキエフの門

創建時の模型



独立広場を中心とした大通りが歩行者天国となり、春の日差しに誘われて多くの人で賑わっていました。
そんな中に、最近のロシアとの戦いの戦没者の写真などが並び、追悼。
独立広場

あちらこちらで建設がされ、大きく変わろうとしていることが街中でも感じられました。

2019年4月7日日曜日

ウクライナへの旅ー5

4月6日、いよいよウクライナへ向かう日。

6時半からの朝食を済ませ、歩いて15分ほどの中央駅から電車に乗る。
慣れない地での行動は全てが余裕をもって。
ショパン空港

ワルシャワからキエフまでは1時間ほどのフライト。
キエフの空港で・・・携帯電話、娘と連絡が取れる。
広大な農地が広がる

ホテルまでは「白タク」・・・値段の交渉は娘の旦那。
途中、多くの建設現場を見る。
空港からの車窓

空港からの車窓

ホテルの窓から、キエフ中央駅

キエフ中央駅の近くのホテルibis.。

歩いて近くのウクライナ料理の店で夕食。
ウクライナ料理

ユーロから現地貨幣に両替する。

2019年4月6日土曜日

ウクライナへの旅ー4

5日(金)ポーランド・ユダヤ人歴史博物館を訪ねる。
2013年開館、設計はフィンランド人建築家ライナー・マフラマキ。
ポーランド・ユダヤ人博物館


ナチスドイツによるユダヤ人への扱いは、強制収容所での大量虐殺など、多少の知識はあるものの詳しいことは知らない。

ここには、ポーランド・ユダヤ人の歴史が分かりやすく解説展示されていました。
言葉の壁が有るため、私にはよく理解できないのは残念でしたが・・・。




子供から高齢者まで、多くの方が訪れていました。

今日は、気温が上がり、春の兆し。
桜の花が咲き、柳が芽吹いていました。
こちらも、春が始まっています。

明日、ウクライナ・キエフへ移動。

2019年4月5日金曜日

ウクライナへの旅ー3

トラブルというのは何処で出くわすかわからない。

3日夜、正確には4日の早朝。
0時過ぎから、あるいはその前から、隣の部屋で大騒ぎ。
ワイワイワイワイ、あははは・・・。
4にん?5人?大騒ぎは止まらない。

1時過ぎに、レセプションに電話「403号室がうるさくて眠れない」。
「電話します」との返事。

2時ごろまで我慢したが益々エスカレート。
再度レセプションに電話する私「相当にひどい、何とかして」・・返事「電話します」、私「電話じゃだめですよ、とにかく来てください」、返事「OK、OK]。

これで少しは・・・そろそろ寝るだろう。
ところが止まらない。
このまま朝までは、困る・・・再度電話・・返事「ホテルとしてはどうにもならない、別に部屋を用意するから移動してくれ・・・」。
という事で4時に近いというのに部屋を移動。

新たな部屋は静かで、少し大きな部屋になった。
ワルシャワ中央駅と奥のSC

温室のようなショッピングセンター

4日(木)も、寝不足に負けず、ワルシャワを歩きました。
比較的最近のショッピングセンターと、国立民族博物館。

民具は共通点が多い

国立民具博物館





2019年4月4日木曜日

ウクライナへの旅ー2

ポーランド、ワルシャワ2日目、4月3日(水)は朝から快晴、風強し。
気温は東京とさほど変わらず。

朝食は、写真のようななかで、充実しています。

中心部のホテルから歩いて、旧市街地・観光地を散策。
第2次世界大戦で壊滅的に破壊された街を、その後丁寧に再現したと説明がある。
旧市街広場

この町はショパンの町。
午後ショパン博物館を訪ねました。
何故か入場無料。
ショパン博物館

ショパンが若い頃オルガンを弾いた教会

ショパン・音楽大学

ショパン博物館の中でショパンの講義

子供たちの見学の場にもなっているようで賑やか。
そんな中で、ショパンの音楽について講義を受ける。
とはいっても、ポーランド語・・・まるで内容は理解できませんでしたが、文化を感じる。

一日良く歩きました。
コペルニクスの像の前で