2016年8月30日火曜日

柏の葉吹奏楽団

今年で参加して3年目の柏の葉。
参加者の中では一番遠方からの参加、そして最高齢者の団員のはず・・・。
4時から6時までは個人練習

10月9日に向けて、少しずつ熱が入ってきました。
今回は、石田先生、犬塚先生、栢木先生、北村先生でした。
豪華でしたね・・・でも、時間が足りない・・・もう少し早くから始めてくれると良いんですがね。
6時半から8時半まで合同練習

合同練習は公開で行われています

今回は、直前に庁舎の視察や、前夜に空き家会議があって、26日(金)に関東へ移動。
27日が練習日、そして28日は赤羽の父を訪問と木工の材料や書籍の購入。

久々に新宿など歩きましたが、日曜日の新宿は行くものではありませんね。
真っすぐ歩けない。

台風に追いかけられて、慌ただしく昨日戻りました。

2016年8月29日月曜日

昔の仕事・・・その10

日経アーキテクチュア―の記事・1979年11月・・・「蓼雲荘」
新御茶ノ水ビルの設計作業が途中ペースダウンした時期、1978年1月から新たな仕事が新御茶ノ水と並行して動きました。

長野県茅野市・蓼科の三井の森という別荘地の中に、M不動産のゲストハウスの設計。
当時関西支社にいた内藤徹男さんへの依頼で、東京側で阿部さんと私がサポートする体制でした。
設計時の内藤さんのスケッチ

私の手元に大切に保管しています

1月に設計スタートで6月には着工、1年の工期で翌年6月竣工と、忙しい仕事でした。
デザインは、内藤さんが東京に施主打ち合わせに見えた時に、まとめて行なうスタイルでした。

そして、最後の実施図面をまとめるタイミングで、私は1週間ほど関西支社で作業をしています。
東京に戻る時、図面と共にピンクレディーのレコードを子供たちに買って帰った記憶が有ります。

英国はチューダーのカントリー風にスパニッシュを入れた折衷様式と注釈が付いています。

施工は藤木工務店の大阪本店で、関西の職人の仕事です。
建築が究極の物作りであることを見せつけられて、それまではモダン建築しか思考してこなかった私にとって、実に刺激的な出来事で、その後の設計活動に大きく影響を受けることになりました。

「・・・その1」で取り上げた蓼科荘は、この繋がりで17年後に竣工しています。
「昔の仕事・・・」は下の『ラベル:昔の仕事を』をクリックすると全てを見る事が出来ます。
1979年6月竣工式の記念写真、私は上奥の列の右から5人目、頭の薄い人の後ろ、
懐かしい顔が沢山並んでいますね、内藤さん、池田さん、村尾さん、阿部さん・・・
その後いくつかの仕事でお世話になる京都・大仏瓦の故佐藤社長が左端に居ます

2016年8月27日土曜日

昔の仕事・・・その9

模型写真:お茶の水駅前の22階建て、左がニコライ堂
「・・その7」で書いた大生相互銀行本店実施設計の後、新たな仕事として「新御茶ノ水ビル」設計室へ移動しました・・・1977年2月(私が28歳)。

設計室と書いたのは、郭先生のKMG建築設計事務所との協働作用だったからです。
日本出版販売本社ビル設計の依頼を郭先生が受け、超高層ビルと言う事で、日本設計に共同設計を求めたのです。

高層部が1981年8月竣工、今から35年前

担当は、霞が関ビルで郭先生と共に働いた阿部彰さんがチーフ、私は大生相互での経験が買われたのだと勝手に解釈しています。

私の担当は外壁の技術的なサポートで、PCカーテンウオールの大きなパネルに横長の1枚板ガラスをガスケットで固定するデザインの実現に携わりました。

郭先生が、霞が関ビルの事務所の中に作らせたPC版のモックアップを前にして、我々の意見をたびたび聞かれる姿を今も良く覚えています。偉ぶらず、とても謙虚な姿勢が郭先生の偉大さだったのだと思います。

ほぼ2年間の設計作業の中で、多くの事を学びました。
そして、沢山の設計室の仲間と大いに遊んだ時期でもありました。
設計室のメンバー、良く遊びに出掛けた蓼科の高原荘・・私は上段左から2番目

この間に、次女の燈が産まれています。
誕生の朝、娘の顔を見てすぐに蓼科へ出向き、ゴルフなどしていた生活を未だ富美恵からは恨まれています。

そうそう、この間に隈研吾さんが日本設計に入社し、私の隣の席で共に仕事をした経験がありました。
今は知らない人のいない著名な建築家ですが、当時は無口な若者だったように記憶しています。

2016年8月24日水曜日

庁舎の視察

我が町の新庁舎建設は、大変に難しい状況にあるようです。
正確には分からないまでも、空気がそれを伝えてきます。

そんな中、この状況を町民の側から手助けし、打開の糸口を見出したいとの気持ちが結集し、研修と言う形を取りました。
私にも声をかけて戴き、もやもやしていた気持ちを少しでもクリアーにしたい一念で参加させて頂きました。

視察庁舎は、最近竣工したもの3点。
それぞれ特徴があり、参考になるものでした。
住田町

住田町でのヒヤリング、熱心な質問のやり取りが・・

国見町

湯川町

詳細には触れませんが(後日書きたいと思います)。
参加された皆さんの熱意に触れて、この視察が、今後の新庁舎実現の、あるいは出直しの新たな道筋を示すきっかけになれるよう、私も尽力したいと思いました。

2016年8月22日月曜日

今朝の毘沙沢

素晴らしい朝です。
カメラを抱えて田んぼの散策。

家のすぐ前ですから散歩にもなりませんが・・・不便な山の中に住むご褒美でしょうか。




2016年8月19日金曜日

スズメバチの観察

スズメバチにもいろいろな種類がいることを知り、18日にブログに書いた蜂を調べてみました。

ここにも特徴が

結論は、モンスズメバチ。
スズメバチの中では中型、主な餌はセミ、そのほかにバッタやトンボも食べる肉食。
これって意外ですよね。

これが一番大きな個体で、女王蜂と思われる

一般にスズメバチは夜間は活動しませんが、モンスズメバチは夜間も活動できるようです。
そんな事からか屋根裏などに巣をつくる事が多く、あまり見かけないとか。

ということでか、レッドデータは情報不足に指定されている・・・う~む。

危険度は、10段階でレベル8などと書かれていました。
いや~、やはり危ないんですね・・・注意しなくては。

2016年8月18日木曜日

蜂の造形

気の毒でした
燻製用に作った箱の中に蜂が巣を作りました。
ミツバチなら良かったのですが・・・コワーイ蜂のようです。

危ないので退治しました。

造形が面白ですね。
軒下などでしたら、丸く薄い殻で囲い込むのでしょうが、箱の中なのでこのような姿になっていました。
未だに子供が巣から飛び出す準備中

外から見る巣の入り口の穴

彼らも、どのように作ったら良いか、悩んだ末の巣の形のように見えます。

2016年8月16日火曜日

21年前の国体の残したもの

雑然と・・・整理したいですね
1995年の福島国体の時に、この町の中学校に吹奏楽団があったと伺っていました。
その時だけの楽団で、その後使用した楽器は何処に行ったのか・・・気になっていたのですが。

最近、楽器の所在が分かったとのお知らせを戴いて、今日見せて頂きました。
一部は現在修理調整に出されているとの事でしたが、ホルン、トランペット、フルートなど残っている楽器を拝見出来ました。
楽器のほとんどが選び抜かれた一流品

さすがに20年間放置されていたのか、すぐには使える状態では無いのですが、調整をすれば立派に現役の楽器達です。

このようにまとまって残っていたのはラッキーでしたね。
これは町の大きな財産。
子供達の音楽教育の素材として活用していただきたいと思いました。

楽器の演奏者がこの町に増えること・・・歓迎です。
応援します。




2016年8月14日日曜日

町の広報・・その2

只見町では、トマト農家の新規就農者を応援しています。
このブログ、町外の方にも読んでいただいていますので・・・アピール。

町の広報

7月7日の「空き家利活用懇談会」、町の広報に取り上げて頂きましたので・・・。


2016年8月13日土曜日

只見町庁舎建設だより

1ページ
6月24日に第1号、そして昨日第2号が届きました。
町の外に居て、心配されている方々の為に、ここに第2号を掲載します。

対立点の詳細は良くわかりませんが、議会と町当局の間の考えの隔たりが未だに埋まらないようです。

画面をクリックして拡大してお読みください。

2ページ



2016年8月9日火曜日

定住生活体験住宅

明和自治振興会と振興センターが協働で進める空き家利活用。
その可能性をいろいろな方向から検討しています。

今年度からスタートの、町の「第七次只見町振興計画」の中に《空き家等を活用したお試し住宅「定住生活体験住宅」の整備》が有ります。

「お試し住宅として空き家の活用」この可能性も検討の必要あり・・・と言う事で昨日2か所を研修。

昭和村のNPOが運営する「田舎暮らし体験住宅」は、古民家を改修した施設で、幅広い利用が可能な施設として運営しています。
昨日は、明治大学の研究室がこの夏の間を借り受け、町の調査の拠点としていました。
昭和村の「田舎暮らし体験住宅」

会津若松の移住体験住宅は1~3か月の利用が可能で、こちらは移住希望者優先で運営されているようです。
市の地域づくり課の担当者のお二人にお話を伺い、現地の案内までして頂きました。
会津若松市役所でのヒヤリング

北会津地区の移住体験住宅

お試し住宅も、その地域地域の置かれている状況により運営に特徴を持たせることの必要を感じました。
只見町のお試し住宅・・・どのような性格の施設にするのか、皆で考えましょうね。

2016年8月6日土曜日

盆踊り

太鼓と笛の練習
盆踊りは日本の何処でも行われています。

櫓の上の太鼓の音に合わせて踊るのは全国共通です。
そして歌とお囃子は、私が子供の頃、東京ではすでにレコードでした。

布沢の盆踊りは8月14日、若宮八幡宮で行われます。
ここでは笛と太鼓は生です。
レコードは使われません。

昨晩練習を見せて頂きました。
太鼓と笛は継承してますが、歌は難しいので歌える人がいなくなって・・・。

レコードを使わない盆踊りは布沢の財産・・・残って頂きたい。
歌も若い人に引きつげると良いですね。

2016年8月5日金曜日

今朝の田の字

ここ数日暑い日が続いています。
棚田に出穂を確認しました。
8月4日が走穂ということになります。

お盆までには、田んぼ全体が稲穂で埋まることでしょう。

畔のオオウバユリが奇麗です




2016年8月4日木曜日

空き家調査

現在、国は空き家対策に力を入れています。
そして、国交省が全国の「空き家バンク」一元化を考えているとのニュースです。

只見町も今、明和振興センター(地域おこし協力隊の康平君頑張ってます)を中心に、空き家バンクの制度化を進めています。
これは、とても重要な事だと思うのです。

誰に相談したらよいか分からない、持て余した空き家。
これを、何とかできるのはもはや個人の力では難しいでしょう。

昨日、一軒の空き家を調査しました。
今すぐにでも使えるような空き家が、ただただ置き去りになっていました。

町内の調査が進むことで少しずつ実情が見えてきました。
資源発掘、着実に、少しずつですが町と協力しながら目標に向かって進めたいと思います。

興味のある方、一緒に活動しませんか。
現在、今までの枠を超えた組織を、何となくですが考えています。

2016年8月3日水曜日

あいにくの豪雨

上が1996年、下が1997年
毘沙沢での過去21年には、いろいろな事があって、いろいろな方がこの地を訪れています。

最初の数年は、古い家を直していましたのと、私が未だ新宿の事務所に在籍していましたので、その仲間がたびたび遊びに来ていました。

右の写真は、1996年と97年です。

たびたび遊びに来てくれていた琢さんが、久々にご家族でお見えになりました。

お孫さんの夏休みに合わせて、六日町経由で峠を越えて・・・。
あいにくの豪雨で峠越えが大変だったようです。
田んぼの周辺で遊ぶことも出来ませんでした。

今回はちょっと時間が有りませんでしたね。
次回はもう少しゆっくりとお話しできると良いですね。

湯ら里に宿泊して・・・今日は雨も上がって・・・。
旅を楽しんで無事戻りますように。
お嬢さんとお孫さん


2016年8月2日火曜日

南会津で「第九」をうたう

今年も、年末に向けて練習の始まる季節になりました。
開催日:12月24日
会場:御蔵入交流館
指揮:高橋裕之
管弦楽:アマデウス室内管弦楽団

合唱への参加者を募集しています。
何方でも参加できます。
是非ご参加ください。

連絡先は事務局の有賀さんまで。