2020年12月28日月曜日

毘沙沢林道圧雪情報-2

年末年始に毘沙沢林道を歩かれる方がいらっしゃると思います。

年末の圧雪が12月31日の午前中との連絡を町から頂きました。
これには条件が付いています「年末は大雪の予報であり、雪の状況によっては日程が変更になる可能性がありますの・・・変更があれば当日かもしれませんが連絡いたします。」

変更の連絡が入りましたら、このブログに情報を入れたいと思います。


2020年12月24日木曜日

毘沙沢林道・速報

 今日は快晴。
9時50分、今シーズン初の林道除雪のブルが毘沙沢に到着しました。


2020年12月23日水曜日

毘沙沢林道、今日の情報

 私は22日の午後林道を歩きました。

実は、知らなかったのですが今回の豪雪で、林道にも多くの倒木が有り、電線が数か所で切断されていたのです。

光りケーブルはこのような状況でしたが無事でした

布沢地区では太田でも被害が有り、毘沙沢林道にまで手が回らなかったとも伺いました。

毘沙沢林道では22日にお願いしていた林道圧雪が倒木の為途中で止まり、東北電力が本格的に復旧作業に入りました。

そして今日、東北電力など皆さまの努力で16時15分ごろ電気が開通しました。

予想ですが、大雪の後から今日まで毘沙沢林道は停電であった可能性が有ります。我が家では、水道が1か所凍っていました。しかし寒い日が続いたので冷凍庫は大丈夫でした。

残りの林道圧雪は明日9時からとの報告が町から有りました。


2020年12月18日金曜日

林道圧雪情報-1

 今年もこの季節になりました。
ここ数日の降雪で只見町の積雪量は今日現在1mを超えています。
そして今晩からまた上積みしそうです。

今回の雪が一段落・・・と予報されている12月22日(火)、毘沙沢林道の圧雪を町にお願いしました。

22日午前中に林道にブルが走ります。
時間は定かでありませんので林道を歩かれる方は気を付けて下さい。

2020年12月7日月曜日

今回のミッション

 根雪の前、ほぼ1週間の滞在。

5日、田島吹奏楽団に出かけました・・・今年最後の参加です。コロナの関係で思うように参加できなかった。そしてコンサートも中止。厳しい年でしたが若い人達の努力で続いてくれていることは大切な事だし、ありがたい事でもあります。

田島吹奏楽団5日の練習風景

昨日、森林の分校ふざわの福袋に、工房の裂き織を入れて頂けるという事でお二人が来宅。
布沢にUターンで戻ったお嬢さん・・・小学生の頃にお会いして以来の再会でした・・・嬉しい。

選んでいます


午後、設計事務所としての仕事で住宅設計の打ち合わせ。久々に建築に携わっています。

今朝は北風が吹いて雨が降ったり止んだり・・・日本海側の雪の前のどんよりとした天気。
人に会いにくい空気の中でトレーラーハウスに出向きました。ここは若いお母さん達のオアシスになっています。月曜日はお休みなんですけど、集まりの仲間に入れて頂きました。

亀岡のママカフェにて

額縁、無事に完成し車に積み込みました。今回の毘沙沢でのミッションはこれにて終了。

2020年12月5日土曜日

今日の毘沙沢

 そろそろ根雪の時期ですが今日の毘沙沢は良い天気、久々にのどかです。冬の準備も終わって気持ちも穏やか。

今朝の毘沙沢

現在、私は友人F君の依頼で油絵用の額縁製作中。富美恵は裂き織にいそしんでいます。額縁は少し大きめなので雪の前に仕上げて車に乗せる計画。

裂き織中・・・寒そうですね

製作中のナラの額縁
沢山の穴は軽くするための物で、裏側です


今回こちらに戻る時、鹿沼の友達の手配で木管五重奏曲の練習に参加しました。市民ホールのリハーサル室で密にならないように・・・機会が少なくなったこうしたお付き合い、コロナに気を付けながら続けたいですね。
こんな感じで練習
今日夕方田島吹奏楽団の下郷での練習に参加します。そしてその後こちらで幾つかの予定をこなし、根雪になる前に太平洋側に移動しようと思っています。

そういえば、昨日、楽天が毘沙沢に5Gのアンテナを建てる為の下見、という調査が入りました。これって本当かしら???こんな山奥に?

そして、町の森林組合が毎日のように杉林の手入れに入っています。
毘沙沢・・・結構賑やか。

2020年11月24日火曜日

ここ数日の毘沙沢

この間少し間が空きましたが 19日から毘沙沢に来ていました。

今回の予定を決めたのは22日に行われた只見町町長選。22日の20時30分に結果が出ました。現職の菅家三雄氏を20票上回って渡部勇夫氏が初当選となりました。僅差ですね。しかし、行政畑で仕事をしてきた64歳は、きっと新しい只見町を切り開いてくれることでしょう。多くの町民が安心して楽しく暮らせる風通しの良い将来を期待しています。人口が減り、厳しい空気の中ではありますが頑張ってもらいたいと思います。

最終の冬支度の間に作っている額縁が何とかほぼ終わりました。今回はサクラと埋もれ木のナラ材の端材を使いましたのでサイズは色々・・・9つがほぼ形になりました。これからも額縁は少しずつ作ろうと思います。

今回製作中の額縁

富美恵は次の注文の製作予定があるので、今製作のコースターを急きょ仕上げていました。


途中、住宅の設計の相談を受けたり、木工機械の樋口さんの訪問を受けたり、ま、いろいろでした。あ、そうそう。田島吹奏楽団の下郷町での練習に参加も出来ました。


外はすっかり冬景色。明日、柏オフィスでの用事の関係でひとまづ柏へ移動します。

冬支度を終えた毘沙沢

毘沙沢林道の終点から左奥に我が家の屋根を望む

2020年11月13日金曜日

移動の道

 昨日、冬の始まりを告げる雪の残る奥会津からまだまだ秋の気候の関東平野へ移動。

繰り返し移動で使ってきた道は、距離と運転のし易さと安全面、そして楽しめる風景や街道沿いの施設などが加味されて決まってきた。

駒止トンネル手前には雪が

さすがに都心に近づくと味気ないものになるのだが、奥会津から柏市までの230㌔の移動はそれなりに気持ち良く運転できている。

駒止トンネルを超えて針生から会津田島へ

只見町から会津田島までの駒止峠越え、会津西街道から尾頭トンネルを抜けて塩原温泉郷、そして宇都宮郊外の快適な専用道、工業団地として整備された真岡。この辺りまでは周辺の自然と農村風景が楽しめます。四季の変化も面白い。

会津西街道から七ヶ岳を見る

宇都宮市・清原工業団地周辺

遠方に筑波山

多くの方がGo Toトラベルで出掛けているこの時期、私達はひたすら只見町と柏市を移動することを楽しんでいます。これはこの間の2地域の環境の大きな違いと、移動ルートの変化の面白さが有るからだろうと思います。

2020年11月7日土曜日

毘沙沢に戻って書いています

 山梨から柏に戻った次の日、久しく会っていなかった楽器の仲間と再会。「流山おおたかの森」のアーリーアメリカンスタイル?のおしゃれなレストランで食事。その後、近くにお住いのUさんのお宅で楽しい時を過ごしました。これからの合奏の練習スケジュールなども話しました。田島吹奏楽団の練習が出来ない今、私達は柏の葉の練習にも参加していませんので、この時期こうして親しく励ましあうことが出来るのは嬉しいことです。

レストランで


Uさんのお宅にて

コロナの関係で人と会うことが難しくなっていますが、明野と柏での3日間、直接人とお会いすることの大切さを感じる数日でした。

この後、車の6か月点検とタイヤの交換を終え、人間ドックで健康チェックを終え、6日に毘沙沢に戻りました。

途中紅葉の中を走り、会津田島のお友達のリンゴ農家さんでリンゴを分けて頂きました。いつも同じ道ですが季節の変化を楽しみ、親しい方とお会いすることが出来るのは嬉しいことです。

会津田島から只見方向への道

リンゴを作っているお友達は田島吹奏楽団の仲間

今回の毘沙沢滞在は冬支度です。今日は朝から仮設・消雪池の設営、そして水源の清掃などしました。来週雪の予報が有ります。一段落してホッとしています。

仮設の消雪池

水源のダム


2020年10月31日土曜日

家具の納品

只見町は都心から見ると12時方向に直線で200キロほど、そして北杜市は9時方向に200キロほど。今回の家具の運搬はこの合計、道のりにして片道430キロほどでした。 

納入先は昔良く毘沙沢にも遊びに来ていたFさん。北杜市で古民家を改装し悠々と暮らしている設計事務所時代からの友。

母屋の一部を書斎とし、私のテーブルを置いてくれるというのであった。

途中勝沼に寄り道したりして夕方近くに北斗市に・・・昨年は夏の前でしたから1年と数か月ぶり。

勝沼・ぶどうの丘

この間1年の間に家の周りをかたずけ、外構を整理して昨年より明るくなったように感じました。

置いて頂いた部屋



翌日は快晴の中、八ヶ岳周辺をご案内頂きました・・・ありがとう。



今回の家具には2321という番号が付いています。これは2020年製で、321番目の作という事です。工房開設から321個目の家具です。321という数字が多いのか少ないのか分かりませんが1つを作るのに1か月あるいはそれ以上かかった物も含まれています。小さなものには番号を付けていませんから、そうしたものを含めると・・・1人の工房で良く仕事をしてきた、と思います。

今後の事ですが、出来る範囲で少しずつ工房毘沙沢の家具製作は続けたいと思っています。


2020年10月25日日曜日

冬の気配の中で

今回のミッションである家具の製作は、大きな失敗もなく21日にほぼ片が付きました。ナラの注文家具は、デザイン・スケッチをFさんから頂いていましたから私は製作に専念出来ました。但し、箱ものの引き出し付きは精度を要します。将来の材の変形に対応する作り方に神経を使いました。

最後の仕上げ

時間が出来て、前々から予定していたマイナンバーカードの取得に町役場に出向き、マイナポイントの手続きに近くの郵便局にも行ってみました。そして、湯ら里とむら湯の温泉にも。

むら湯・窓からの景色が魅力です
勿論、赤湯のかけ流しもですが

マイナポイントの申し込みは実に難解でした。結局は郵便局で予約だけ入れ、あとは自宅でパソコンとスマホを駆使し悪戦苦闘の末完了。富美恵と「こんなに分かりにくくちゃ、だれもやんないヨナ」と、でも頭の体操になったし、2人で1万円頂けるのだから、ま良いか。


後半は天候が悪く、冬の前の日本海側の気候、冷たい雨と風、そして時々晴れ間・・の繰り返し。
そんな晴れ間を利用して、熊が登ったスモモの木を伐りました(実はあと3本伐らなくてはいけないのですが)、写真のように熊の爪痕がスゴイですね。


赤丸の中に熊の爪痕が
紅葉は、いよいよ本格的に・・・これからが本番。
高い山が布沢城址

富美恵は相変わらずコツコツと・・・。

製作中

毘沙沢の色

かたずけていたら昔のローソクやランプが出てきて、特別な日でもないのに・・・。



2020年10月19日月曜日

毘沙沢の今

 コロナコロナの中ですが、少しずつ何時もの生活を取り戻しています。何が危ないのか、どういう風に振舞ったらよいかなど、私達も少しずつ対応策を身に着けてきました。

今回の毘沙沢の生活には、いろいろな方との触れ合いが少しずつ戻ってきています。

16日、ポツンと一軒家の担当者から電話。2年ほど前のTV放映の続きをリモートで取材したいとの趣旨。17日にLINEを通じて2時間に及ぶ取材を受けました。先方も自宅での仕事。スマホを片手にあれこれやり取りしました。

スマホを通して家具の説明中

果たしてこれでTV番組が出来るのだろうか、これって、本当に・・と少々疑問が残りましたが、今の時代の仕事の仕方はこのように変化していることを身を持って体験しました。

まだ具体的ではありません。ハッキリ放映の日などが決まりましたらお知らせしたいと思います。

18日、東京から麻衣子さんがお米を受け取りがてら遊びに見えました。まだまだ都会からの訪問者は歓迎されませんから慎重に慎重に、と、我が家以外には顔を出さずに、とんぼ返りでした。それでも、久々にいろいろと情報を交換出来ました。

麻衣子さんと

今日、町の町長選を控えて、親しくさせて頂いている方とお話しする機会が有りました。久々に昔のことなど想い出したり、町の将来について考えたりしました。住みよい町になるよう頑張ってほしいと思います。

この人は時々、突然「お~い居るか・・」と言いながら現れます。「いつ電話しても居ないじゃないか・・・ぶつぶつ・・」という感じです。そしてお茶をしてお話をして帰ります。もう長いお付き合いになります。口は悪いのですが我々のこうした生活を心配してくれています。ありがたい・・・我々の理解者です・・カネマンのオヤジ。

カネマンのおやじ

そんなことで、家具の仕事がはかどりませんが、ま、何とか順調です。

今日製作、引き出しの前板


2020年10月14日水曜日

想い出の中に・・・その70

 2007年10月26-27日、紅葉の時期に私の小学校(豊島区立駒込小学校)のクラスメイトが分校に遊びに来ました。メンバーは多少変わったけど2回目だったのかな。


この時は楽器を持参で夕方分校でプチコンサート。

プチコンサート
この時の写真は無事に残っていましたので少し多めに。


私はホスト側


おみ上げコーナーも人気でした

支配人のスタイル

こうした時は次の日に恵みの森に出掛け、その後毘沙沢に来て頂いていました。

毘沙沢で
このメンバーは、時に参加者が入れ替わりながらこの後も何回となく奥会津・毘沙沢を訪問することになります。

長い事「想い出の中に・・・」へお付き合いいただきありがとうございました。この後は、このブログの初め2008年3月へと続くことになります。これで「想い出の中に・・・」は終了とします。

昔の事を思い出すのは楽しい事ですが、記憶が薄れていて、写真が見当たらないなどストレスでもありました。でも何とかこれで私達が毘沙沢という秘境の地に足を踏み入れて、1994年秋から今日までの26年間がつながったことになります。全部で何ページになるのでしょうか、何時か、最初から目を通してみようと思います。

或いは、毘沙沢を訪ねて頂いてここに登場していない方もおありかと思います。メモや記録には名前が残っていて写真が無い、そうした方も数多くありました、10年を超える薄れた記憶をたどり具体的に表現するのは難しい作業でした。お許しください。

最後に、森林の分校の運営に係わる資料(2007年度)の一部を今後の参考のためここに留めておきます。分校の運営に参加いただいた皆さんに感謝を込めて。