2017年1月30日月曜日

夢のあとで考えた

夢のあと、未だ暗い天井を見ながら考えました。

駅前に超高層住宅を建て、町民には特別価格で販売・・・という広告が町の広報に掲載。
辺鄙な末端集落の住人にはさらに格安で入居可能。
町内からの移転者は、古い家を下取りしてくれるらしい。
1棟で住宅数800戸・住人1500人ぐらいの計画になるかな

駅とも、町役場とも地下通路で繋がっていますし、建物の中に学校もある。もちろん診療所も設置されている。
介護が必要になったら、介護施設に移動できるCCRCのシステムも整備しているらしい。

町はこれで辺鄙な集落の道路の除雪がなくなって楽になる。
1人暮らしの高齢者の心配もなくなる。
子供たちはエレベーターで学校に行ける。

只見駅から1日何便か東京に直通列車だって走っているらしい。

こうした利便と安心がこの町の多くの人たちの望むところではないだろうか。
この本心が、自然首都とかユネスコエコパークなどというオブラートの下にある。

ここに書いたような計画(考え方)が、この町で過去に立派な報告書になったことを知る人は少ない。

基本的に国はコンパクト化の方向、果たして我々の町はこの課題にどう立ち向かうのか。
そんなに時間がないように思われる。

追伸:私は基本的にはコンパクト化には賛成ではない。しかし、現実を注視することの必要性を最近強く感じる。

2017年1月29日日曜日

夢を見た

山奥の集落から人々がどんどん消えていく。
山の奥をよくよく見ると、人がいない、家がない、田畑が消えている。

さらによくよく目を凝らすと、駅前の丘の上に写真のような建物の建っている景色が見える。
「あ、そうなのか、なんだこういうことだったのか・・・皆さんここにいらしたんですね」とつぶやいて目が覚めた。

窓の外は激しく吹雪いて、沢山の雪が積もっていた。

数日前、陸の孤島の毘沙沢の山の中で、そんな夢を見た。

2017年1月28日土曜日

「空家活用促進隊」の募集

只見町では、昨日町のHPで、下記の協力隊の募集をしました。
昨年春から空き家活用の活動をしてきた康平さんが、1年の任期を終えて大学に戻るため、その後を継いで活動してくれる人材の募集です。

1年間の活動で、年度内に町の空き家バンクが実現する予定です。
そこには、いろいろな苦労や試行錯誤があったことでしょう。
そして、ノウハウも蓄積されています。
これを受け継いで、持続して町の大きな力に育てて頂ける人材に是非応募していただきたいと思います。

毘沙沢は、今まで通り応援したいと考えています。

以下は、町のHPから・・・。

只見町地域おこし協力隊「空家活用促進隊」を募集します!

~空き家の利活用と定住促進に取り組むため募集します~
 只見町は、平成26年にユネスコエコパークの認定を受け、人と自然が共生する町を目指して取り組んでいます。しかし、少子高齢化や今後ますます増える空き家の問題などが山積しています。将来にわたり地域を維持していくためにも、若者が住みやすい地域を目指し、地域力を高めるために地域外の人材を積極的に受け入れ、その能力・手腕により地域活動に参加し、担い手となる人材を求めています。
 只見町では、空家の利活用や定住促進に積極的に取り組むため、「只見町地域おこし協力隊」を下記のとおり募集します。
下記以降の詳細は只見町のHPからお願いします。

2017年1月27日金曜日

雪との戦い

ここ数日は雪との闘いの日々・・・そして、不安との戦いでもありました。
大雪の中での除雪機の故障は厳しいです。
自ら修理しなくては、雪の中に埋まる。。。恐怖。

幸い、イロイロ考えて、答えが見えてくる・・・そして偶然も重なって、なんとが不具合の原因が見えてくる。
試行錯誤の後、無事に本当の原因を突き止め、めでたしめでたしとなりましたが・・・しかしながら、その間、本調子でない機械を操り、重たい雪との戦いは辛かったね。
この時、実は機械は不調でした

今日、佐野さんがスキーを履いて毘沙沢に応援。
その直後、林道にブルが入りました。
佐野さんと

あそうそう、インターネットが通じないというトラブルもありました。
こちらは、無線接続機器の不具合でしたが、問題を突き止めるまで、あたふたしました。

陸の孤島は、恐怖感を増幅します。

2017年1月23日月曜日

吹雪

昨日は除雪機の不調で右往左往しましたが、何とか動いてくれました。
これって精神的に辛いから・・・良かった。

昨晩から吹雪。
今も激しく降り積もっています。
毘沙沢は現在陸の孤島状態かな。
写真では見え難いけど、激しく左から右に吹雪いてます

そろそろ家具の仕事を始めなくては・・・富美恵は何やら作っているし。
作業状態・・・コタツの上
明日も降り続きそうだな。

2017年1月20日金曜日

戻りました

19日の午後の空き家会議目指して戻りました。
会議後の帰宅は、天候によっては林道歩行が難しいこともあるので、安全を見て湯ら里に宿泊。

留守の間の大雪で、積雪は一気に増えましたが、19日の圧雪のお陰で、今朝の林道歩行は楽でした。
快適な雪上・・・ 一応かんじき履いてます

想像を超える積雪量ではありません
天候にも恵まれ、お昼前には毘沙沢着。
午後は早々除雪作業などいたしました。
屋根から落ちた雪は固くて重い

早々除雪
取り合えず、元気で戻ったことを報告しておきます。

2017年1月16日月曜日

柏の葉・終わる

3年前に、たまたま参加した「柏の葉吹奏楽団」のワークショップ。
柏市は只見町のふるさと交流都市だし、交流にもなるし・・・・と。
開演前の会場
最初は、知る人もいないし・・・1年でいいかな、と思っての参加でしたが、年々知る顔が増え、今は何となく・・・団員気分。
ホルンパートの皆さん
千葉県民プラザの事業で、共に歩んで今年度は20周年だそうで、昨日の新春のコンサートは気合が入っていました。

団員はほとんどが社会人で、中学高校時代に吹奏楽で青春を過ごした方々。
その後、ブランクがあったり、色々な人生の中で、また忙しい中で吹奏楽に戻ってきたとの話など聞きます。

私たちにもサプライズがありました。
高校時代のブラスバンドの仲間が聴きに来てくれたのです。
半世紀ぶりにお会いしたのです・・・嬉しい出来事でした。
半世紀ぶりの再会でした

演奏の後の親睦会は、20年を振り返った催しなども用意されていて、楽しいひと時でした。
楽器を演奏していて良かったと思います。
親睦会
毘沙沢の雪が気になります。
今週、数日後に戻ります。


2017年1月13日金曜日

本領発揮の中で

12日の予定を変更して、急きょ10日に下山しました。
天気予報では、11日午後から大雪・・・その後当分は降り止まらない・・・でしたから・・。
10日の林道

ライブカメラはあの建物から・・・黄色いブルドーザー

例年ですとこの時期は山に留まり雪と戦うのですが、今年は15日の演奏会にどうしても出演したいという気持ちがありました。
それなりに時間をかけて練習してきましたのと、半世紀ぶりに会う高校のブラバンの後輩が聴きに来てくれるという話も聞いています。
勿論、毎回のお友達も・・。

毎日、何回も森林の分校のライブカメラで積雪状態を確認します。
毘沙沢の家の屋根の雪の量が気になるのです・・・心配です・・・大丈夫だろうか・・・。
今日のライブカメラ・・・ブルトーザーが埋まってる

関東平野の空は真っ青で、太陽がさんさんと輝いています。
穏やかです。
でも気持ちは、半分は雪国に残しています。
きっと、奥会津出身者の多くは、都会で暮らしながら、今の私のような気持ちで郷里の家族のことを心配しているのだろうと想像できるようになっています。

19日の産業振興部会・空き家会議の件で、明和振興センターに連絡。
期待している「町の空き家バンク」は、秋の町議会以来ブレーキがかかっているようです。
担当者は頑張って調査をし、1月末あるいは2月にはHP上でオープンに出来るように準備をしてきたのですが・・・どこからか「各地区・集落への説明が足りない」「明和でできるのか」などの意見が出たとか。

おいおい、それはおかしいぞ、明和中心で進めるのは昨年春に確認したことだし、地元への説明は要綱をオーソライズするときの問題で、いまさらこの段階で・・・。
勿論、現場で実際に作業していれば何が問題かは分かっているし、それなりに気を使っているのですから、暖かく応援していただきたかった。

「年度内にしっかり準備したいです」と聞いて・・・毘沙沢は嬉しいのですが・・・新年度には運用開始となるとしても、担当者の康平さんの任期は3月末ですから・・・彼の気持ちを考えると・・・・3月初めにはHPにUPしてあげたいね。

若い人たちが活躍できる環境を、高齢者(毘沙沢のこと)は作る努力をしたい・・・と、思います。

2017年1月9日月曜日

有難いね

年末年始はふるさと首都圏で過ごしました。

2日は初詣。

4日父の98歳の誕生日会もありました。
5日には、木工の仲間との新年会。

最後の7日、柏の葉吹奏楽団の練習に参加。
沢山の若い仲間が、仕事や子育てで忙しいのに、集まって練習していますから、私達が休むわけにいきません。
1月7日の練習風景

是非お出かけください

昨日毘沙沢に戻りました。
雪が少ないので助かります。
8日の林道歩行

そんな・・・ですから・・今年初の毘沙沢訪問者は・・・またまた和子さんが車で・・・な、ナント車で登場。
9日に車が入るのは新記録

今回は、12日に柏に戻り、15日の演奏会に出演の予定。
山の中で暮らすということは、多くの若い方々、地元の方々との繋がりがあるから続くのだと・・・つくづく感謝。

今週は、ドカンと大雪来るのかな・・・あああ、出て行けるのかな・・。

2017年1月7日土曜日

昔の仕事・・・その20

1990年~92年、新浦安オリエンタルホテル計画。
1991年~97年の芝三丁目計画。
など、大きな、時間のかかる開発に関わっていて、忙しくしている時期、1993年1月末から2月初めにかけて、米国の高齢者施設(CCRC)視察に出かけています。

某社の新規事業のための視察で、先進的な、こんな生活なら老後も悪くないと思わせる羨ましいCCRCを沢山見る機会を頂きました。

この時期、日本ではそうした需要を見越して、新たな事業化を検討していた企業があったのですが・・・・なんと、そうした視察の直後、日本のバブルがはじけ、計画はあれよあれるという間に消えてしまい、残念な思いをしました。

ちょうどそんな時、1993年5月から3か月程、青梅市新庁舎のコンペに携わりました。
未だバブル崩壊が信じられない空気の中でしたから、潤沢な予算で贅沢なプレゼンテーションをさせていただきました。

アプローチからのパース

残念ながら当選はできませんでしたが、実現したかった仕事です。
長岡さんと荒木さんにはご苦労をおかけましたね(写真は霧ヶ峰の高原荘にて・・・CCRC計画の打ち合わせで蓼科に出向いたとき)。

2017年1月6日金曜日

昔の仕事・・・その19

日立駅前開発整備事業として、1987年日立市が主催の駅前商業街区事業コンペにM 不動産とIY企業連合が入選し、ホテルの設計者として我々が指名された仕事でした。

私は、同ホテルグループの柏での経験から、都立大学の現場と並行して担当しました。

1989年10月に計画方針が決まり、1990年3月には発注図をまとめています。
同年7月着工、1992年3月竣工ですから、仕上げの時期は都立大竣工後で、べったりとこまごましたことまで目を通していたように思います。
近代建築1993年5月号掲載

この時点ですでにホテルの経験は幾つかありましたのと、都立大での自信も加わって、密度の高い仕事になったと思います。

美術品を高橋英子さん、橋本京子さん、籐直晴さん、中村清美さんなどとご一緒できたのも現場をより楽しくしました。
建築は森本さん、インテリアは田淵さんと共に作業。
高橋英子先生、須藤さんと私・・・ロビーにて

ホテル・プレオープンのスナップ・・・コーヒーハウスにて

年齢的にも43歳の年が竣工ですから油が乗っていた。
延べ床面積10,997平米、客室数121室という規模も手ごろな仕事でした。

2015年に久々に訪れた時には、低層部の色とホテルの名前が変わっていました。
2015年5月



2017年1月5日木曜日

豪雪

奥会津、只見町は豪雪地として知られています。
「知ってて移住したんでしょ・・・・」と言われることがあります。
「いや実は、ここまでとは・・・都会者には想像できない・・・」

今年は今のところ、昨年に続いて雪が少ないように見えます。
でも、このブログを書き始める前の2006年の写真を見ると、すでに1月9日に我が家は雪の中に埋まっていました。いや、その2週間ほど前の12月25日にすでに埋まっていたのが分かります。
2005年12月25日

2006年1月9日・埋まった屋根を掘り出しています

豪雪地の恐ろしさは、その年で大きく降雪の状況が違うこと。
予想が難しいことでしょう。

今年はこのまま、小雪の年でありますようにと願いつつ。

2006年は、お隣が火災になった年でもありました。
豪雪のおかげで、我が家は助かりました。
雪の壁がなかったら、今の我が家はなかったでしょう。
燃え落ちた隣家から・・2006年2月10日

焼け跡の遠望・・・2006年2月28日

豪雪はこの地の大きな特徴です。
めぐみでもあります。
そう考えれば、今年も例年並みに積もって頂いたほうが・・・良いのかな・・・。

正月も終わって今年の書き始め・・・今年ももよろしくお願いします。
皆さまにとって、幸多き年になりますように。