2014年12月22日月曜日

会津第九演奏会終わる

前日に会津若松に向かいました。
慣れた道ですから、R4を北へ向かい、甲子トンネルを抜けて、西会津街道を北上。
柏から225キロで会津風雅堂着、ですから、柏から毘沙沢までの距離と同じ。

毘沙沢から直接出掛けられれば良いのですが、雪との関係で、安全な方法を選んでいます。
前日のリハーサルin会津風雅堂舞台上

会津第九演奏会には歴史が有りました。
日本で初めて第九が演奏された徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所(第一次世界大戦後のドイツ人収容施設)の収容所所長が会津出身の松江豊寿(後の若松市長)で有った事。

幕末、会津の先人が移り住んだ青森県むつ市の「むつ下北第九の会」の参加。
明治新政府に圧力を掛けられながら過ごしてきた会津の厳しい空気が、今も、少し漂っていました。

そんな中に、混ぜて頂いて、楽しく歌うことが出来ました。
ありがとうございます。
指揮:佐藤正浩

只見町からの参加者

第九は、体中から声を出す、絶叫に近い場面があります。
何時まで歌えるか・・・2年後の会津田島までは頑張りたいと思いますが・・・。

田島吹奏楽団のお友達、お出かけ頂いてありがとう。
会津若松の建築家、鈴木奈津子さんからの花のサプライズ(^^)/~~~


2 件のコメント:

大井清嗣 さんのコメント...

すばらしい!
会津がルーツの私も参加しなくては???
明治になって藩替えで下北半島の田名部辺りへ移動していく様子を書いたのが、津村節子の「流星雨」。本当につらい大変な思いをしたのですね、先人たちは。

毘沙沢 さんのコメント...

私は、下北からの皆さんと控室が一緒でした。話は出来ませんでしたが、穏やかな、会津を懐かしむ空気が流れていました。皆さんは私より少し高齢者でした。
今回は、演奏会の事情が分かりませんでしたが、大井さんをお誘いすべきでしたねm(__)m・・・残念。