2009年7月14日火曜日

昔話


毘沙沢のかつての住人は現在明和大倉に5軒が移り住んでいます。
芳二さんはかつて我が家の隣の曲がり家に住んでいました。

今でもよく毘沙沢に来ています。自分の土地の目印に杉を植え、草を刈ります。
自分が死んでも何処が自分の土地が判らなくならないように。
「こういうのを死に欲というのです」と笑います。
木を切り、山菜、きのこも収穫します。

毘沙沢は昔から田んぼを作ってきましたが、いつも米不足に困っていたようです。
芳二さんは小学校(布沢分校)を卒業すると田の開墾をしましたが思わしくなく、親類を頼って単身川崎に出たようです。
建設関係の事務をやり学校に通い、その後兵隊から捕虜。終戦後毘沙沢に戻り、大工になったのです。

私の祖父も明治の終わり?に京都岩倉から東京に出てきたと聞きます。伊達政宗とても中央を目指したわけで、いつの時代も地方はメジャーにはなれなかった歴史を身近に感じます。

地方の時代はやはり夢のまた夢なのでしょうか。

2 件のコメント:

ミカン さんのコメント...

夢というより……地方の時代が来てもらわないと困ります

そのためにも私のような若者が頑張らねばと常々思います

毘沙沢 さんのコメント...

今の地方には若い人の割合が小さすぎる。
ということは昔のままの考えから脱却出来ない。
それを嫌ってさらに若い人はここを離れる。
その悪循環。

都会から来た先鋭は浮いて嫌になる。

やはり若さが無いということは未来が無いということなんですね。

残る頼りは、自然と伝統文化。
これを何とか新しい頭脳で持続できる魅力に仕立てねば。