2008年4月4日金曜日

小学校の木の椅子



私の住む布沢集落と、お隣金山町山入集落とは距離は近いのですが、険しい松坂峠を超えないと行き来ができません。今も冬期間は不通となります。郡境でもあります。

ところがこの二つの集落は、遠い昔から親しく交流し、お互いに嫁が行き来してきた歴史があります。山村の生活で、山は障害ではなく、むしろ共通の生活の場で有ったがゆえに、山のこちらと向こうは仲良くする必要が有ったとも考えられます。

そしてその歴史は行政的には隔てられても続いています。この峠のトンネル化、あるいは冬期間通行は2つの集落の悲願であり、その運動の一環として、峠の頂上で、「国盗り綱引き大会」が行なわれてきました。

しかしこれもマンネリ化し、昨年は松坂峠の尾根に残された天然ブナ林の中で椎名誠さんの話を聞く会となりました。その会場で私の目にとまったのが、椎名さんが座っていた椅子。そう、昔小学校で使われていたあの懐かしい、小さくて頑丈な木の椅子でした。山入集落の小学校で使われていたものでしょう。

私が、身近に最初に接した洋風家具は、小学校の椅子、机でした。戦災で焼けた戦後の東京のどの家にも洋風の家具など無かったのです。そんなわけで、私の世代にとって小学校の木の椅子の事は実に良く覚えているのです。

ちょっと仕事の手が空いたので作ってみました。実物とはプロポーションが違いますが構造は同じです。骨組み部材の断面は基本的に2種類。仕口も2つのディテールしかなく、量産に適したデザインである事が判ります。

座は1枚の板です。これは東京のものとはデザインが違います。今回私の見たものは杉で出来ていましたが、東京の小学校の物はナラであったと記憶しています。そこで今回はナラで作りました。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ブログ楽しく拝見しました。地元のエピソード紹介が、今後も楽しみです。
勿論、家具や奥様の作品もですが..... 

息切れせずに、長く続けられる事を願っています。

毘沙沢 さんのコメント...

安川さん、投稿ありがとうございます。

都会では目に触れ難い、経験しにくい山里の体験を1年間投稿したいと思います。