2016年9月24日土曜日

昔の仕事・・・その13

最初のころ提案した配置模型
「プラザ元加賀」・・大規模な住宅開発は今でも施工者との共同設計が採用されることが多々あるようです。

1981年9月スタートの新日本製鉄が施主で進めた江東区白河の住宅開発は、新日本製鉄、日本設計、鹿島建設、大成建設の5社による共同設計でした。
開発手法、住棟配置、外構設計などへの助言と提案が私達の仕事だったと記憶しています。

1983年3月(私が34歳)に外構の図面化などをして作業が終わるまでの1年半、打ち合わせや作業がゆっくりと進む仕事は、設計室を作らず、設計者各社が別々の場所での作業で、なかなか難しい仕事の仕方でした。

この仕事では、販売パンフレットへ載せる、販売セールスの売りになる味付けが私の仕事だった・・のかな。
勿論居住者にとっての魅力でなくては意味が無いのだけれど。
販売パンフレット

庭の真ん中に、目玉になる物を提案する為、彫刻家の関根伸夫さんを起用して一緒に作業しています。
テーマと周辺のデザインとの関係を議論し、関根さんがシンボルとなる彫刻を製作するというコラボだったと記憶しています。
当時すでに、とても著名な彫刻家でしたので、少々緊張しながら打ち合わせなどしたのを覚えています。
関根伸夫さんの作品集から

1985年3月に高層棟(20階建)の入居が終わり、総住戸数673戸の「プラザ元加賀」の仕事は完成しています。
高橋琢朗さんと稲垣道子さんとの仕事で、私はデザインの側から参加しました。

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