2006年は正月に富美恵の父親が旅立つという不幸があり、何やら不穏な年の始まりでした。
この年は雪の深い年で、雪に埋まって引越し荷物の片付けなどもしていました。そうした2月8日、午後の早い時間にお隣のIさん宅で出火。
Iさんが到着してストーブに火を入れた直後、煙突の火が屋根の茅に引火したのでした。第一発見者が私で第一通報者が富美恵。
その詳細は今でもよく記憶しています。私も消火活動の手助けをしたのですが、屋根の引火はなんともできませんでした。
しばらくして沢山の消防団員の方が駆けつけてくれましたが、成すすべはなし。見守るのみでした・・・暗くなるまで。そして後方では婦人会の皆さん、布沢の皆さんが飲み物や食べ物を支援してくれていました。
写真がありませんでしたので描きました |
隣家との距離は10 mほどしかありませんでしたが、大雪が幸いしました。一時は「これはだめかもしれないな・・・。」などと富美恵と話しましたが、幸い風が無く、助かりました。
もしあの時我が家が消失していたら、数か月前に持ち込んだ全ての家財、写真、仕事の記録などを失っていた。勿論このブログも書いていなかったでしょう。
このことは私以上にIさんには大変な事でしたが、その後新たに家を建て、今もなを隣人でいてくれることは嬉しい事です。
城山から見た2006年2月28日の我が家 |
消失家屋と残った我が家・3月25日 |
彰さんが |
晃吉さんが |
このことを契機に、私達はさらに地元の方々との関係を深めていったように思います。
火災のことは書きたくない話題でしたが、悲しく厳しい記録として飛び越すことは出来ませんでした。
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