2020年1月31日金曜日

雪国を楽しむ

雪の少ない冬になっていますが、この時期の行動は林道歩行が前提。
ですから生活に相当制約を受けます。

それでも、じっとしてはいられない。
10日間隔ぐらいで出入りしています。

29日、新宿で、日本設計の先輩諸氏との新年会に参加。
久々でしたが、懐かしい顔に心が温まるひと時でした。

新宿も少しずつ変化しているようですが、それでも若い頃に長いこと生活をしてきた馴染みの場所。
雑踏の中に身を置くことも苦にならず、この場所では何だかホッとする気がするのは不思議です。
21時を過ぎているのに・・今も窓に光が
・・これも懐かしい。

二日明けて、今朝はポツンと一軒屋に居る・・・なんだか不思議です。
雪が降っています、そして静かです。
朝からホルンの練習などして、これから寒い工房で仕事。
ここでもまたホッとします。
今朝の我が家の庭

幸せな暮らしです。

追伸:30日、林道を車で走りました。これは過去にない初めての経験です。
30日の状況


2020年1月29日水曜日

想い出の皆さんと

毘沙沢の想い出の中で、田の字の田んぼは格別でしょうね。
こんな山の中で、再生した田んぼで田植えや稲刈りが出来たのは奇跡です。
都会からの皆さんに喜んで頂けたのが、今更ながら嬉しい。

そうした出来事も、最初の田植え2009年5月から10年が経過しました(その記録はこのブログに有ります)。
2017年の5回目の稲刈りが最後となりました。

田植え・稲刈りに首都圏から参加頂いた駒込小学校の仲間とは、今でも時々お会いします。
そして昨晩は巣鴨で新年会。
新年会in巣鴨

皆さん、まだまだ元気で、昔の話に花が咲きました。
話題の中で、奥会津、毘沙沢は特別な場所になっているようです。
2010年の稲刈り

2011年の稲刈り

何処かの時点で、「駒小6年2組in毘沙沢」をまとめなきゃ・・・ね。

2020年1月27日月曜日

演奏会

今から10年前、2010年10月30日森林の分校ふざわ開催の「第2回森林のふれあいコンサート」(このブログ2010年10月31日)。
10年前の只見町の記事

その時、柏市から参加頂いたメゾソプラノ歌手羽鳥典子さんが主催・企画の演奏会に、昨日出かけました。

銀座の王子ホール。
少し早めに銀ブラ、そしてチョッとお洒落な昼食で気持ちを整えて。

プログラムに、「ロッシーニは著名な作曲家であるが、その76年の全容を知る人は少ない」「彼は晩年をパリに暮らし・・・」「ショパンはロッシーニのオペラの大フアンだった。・・」。

パリのロッシーニ~知られざる横顔~
小さな曲はチャーミング、今回ハルモニウムという楽器を持ち込んでの「小荘厳ミサ曲」は迫力でした(演奏中の写真は撮れませんでした・・・残念)。
昔と変わらず、素敵に活躍している羽鳥典子さんに接して、元気をいただきました。
お誘いただいた毘沙沢フアンのお友達と


2020年1月22日水曜日

今日の毘沙沢

朝からとても良い天気。
窓から見る雪景色は他では見られないものです。

この時期は、動物も虫達もお休み。
ですから我々も・・ですが、結構働いてます。

朝から、楽器の練習。
そして富美恵は裂き織の仕事。
現在販売中の裂き織ポーチ4点

私は今、譜面台の製作中。
製作中の譜面台

そして、今日のように天気が良ければ家の回りの除雪。
これは健康の為でもあります。

今日は林道に、この冬初めてブルは走りました。
今季初の圧雪作業
我々は明日、久々に山を下ります。

2020年1月21日火曜日

林道圧雪情報

昨晩からの雪は予想以上に積もっています。
という事で、町に林道圧雪の要請をしました。

先ほど、明日中にブルが入るとの連絡を受けました。
時間は定かではありません。
林道を歩く方は気を付けて下さい。

雪が似合う場所

雪が少ないと生活は楽です。
このまま温暖化が進んで雪が降らなくなったら、どれだけ生活が楽になるでしょう。
などと、悪魔は囁きます。

今朝からこの地らしい雪が降りました。
まだまだとても少ないのですが、それでも雪国の景色になりました。

やはり、このほうが似合うな・・・この場所には・・・。
今朝10時現在こんな感じです



2020年1月18日土曜日

来客が車で

今までも、1月に雪の上を歩いて尋ねてくる来客はいました。
あるいは正月明けに車で入れた年もありました。
でも1月18日に車で来た方は初めてです。

Fasebookでお知り合いになったOさん、福島市からわざわざ。
「ポツンと一軒屋で何回も見ています」というご挨拶から、始まりました。
こうした毘沙沢フアンがいてくれることは、励みになりますね。
いろいろとありがとうございました。

それにしても未だ車の入れる毘沙沢・・・助かるとはいえ、不安です。
予報では、まだしばらくこの状況が続きそうな気がします・・・豪雪地はどこへ。

2020年1月17日金曜日

毘沙沢の今日

今日、林道を歩きました。
例年では考えられないような状況です。

1月17日でこのような雪の少ない毘沙沢は初めてです。


車高の高い車でしたら今日現在走れるかもしれません。
住人としては有難いのですが、何だか変な感じ。

2020年1月16日木曜日

柏市の観光

柏市の人口は現在43万人ですが、この大都市化はごくごく最近の事で、幕末は軍用馬の放牧場(小金牧)が広がるのどかな田舎だったようです。
そんな歴史が、「旧吉田家住宅歴史公園」を訪ねると分かります。

吉田家は利根川の水運を利用した穀物商、醤油醸造業などを経て、競馬場の運営、そしてスポーツ振興にも力を注いだこの地の名主でした。
主屋と前庭
映画やドラマの撮影にも使えるようです

今日、ぶらりと出かけてみました。
長屋門

主屋の内部
長屋門カフェ・壁の斜材は江戸時代の物です、お洒落です

数年前(2013年3月8日にこのブログで書いています)と比べて、だいぶ環境整備されたように思います。
お茶や食事の出来る場所も用意されました。
ボランティアの案内の方が丁寧に説明してくれるのは変わりませんが、何だか充実した…ようなきがします。

柏市(只見町の交流都市)・旧吉田家住宅(国指定重要文化財)の宣伝でした。

2020年1月12日日曜日

毘沙沢林道を歩きました

全国的に異常に積雪量が少ないようですね。
スキー場はお困りでしょう。
只見町の雪まつり関係者も、頭を抱えているのではないでしょうか。
毘沙沢も考えられないような状況です。

1月11日とは思えない・・・

昨日、林道を歩いて下山。
林道の半分は雪の無い道でした。

夕方から下郷で行われた田島吹奏楽団の今年初練習に参加。
3月15日開催予定の吹奏楽フェスティバルに向けて・・・。
今年も楽しく・・・をモットウに。

練習が終わってから、関東平野まで移動しました。
柏着、今朝の1時。
ま、何とかこういう生活、維持できています。
感謝。


2020年1月8日水曜日

只見町「道の駅」基本計画策定委託プローザル

只見町には未だ道の駅がありません。
過去に幾たびか検討の会議体が出来、私も関係者であった時期がありました。

昨日、町のホームページに〖只見町「道の駅」基本計画策定委託業者選定プローザルの実施について〗が公表されました。

この中に「只見町「道の駅」基本構想」が有ります。

残念ながらこの基本構想からは、「只見型」、前向きな・夢の持てる「只見ならではの道の駅」が読み取れません。
深沢温泉「湯ら里」は重要なアイテムだと思いましたが・・・。

昨年末、明和地区の食を支えてきたスーパー「うおかく」が店じまいしました。
これはこの町の消費が、買い物は遠方の町へ買い出しに、この町の生産者は都会に出稼ぎ販売・・が主流になっている現実の結果でしょうか、残念ですが。

そうした環境の中、只見町の道の駅構想、何処にでもあるような道の駅、町内のバランス最優先の判断(のように見えます・失礼)で果たして10年後に存続できるのか・・。
余計なお世話かもしれませんが、人口が3,000人代になる町で・・・今から心配です。

どうか、優秀な提案者に応募いただきますように・・・祈ります。

2020年1月4日土曜日

今日の毘沙沢林道

今日、毘沙沢に戻りました。
途中、駒止峠は圧雪道路を走りましたが、例年に比べれば雪が少なく、台鞍山スキー場は未だオープンしていない状況のようです。

毘沙沢林道は、ブルは分校に待機していますが圧雪はされていません。
それでも今日は歩ける程度の積雪でした。
車では入らない方が良いと思いますが・・・。
今日の林道

今後の天気予報を見ても大雪の予報が無い・・・ように見えます。

状況に変化が出ましたら、林道の雪の状況、圧雪の予定など分りましたらお知らせします。

2020年1月1日水曜日

オリンピック前夜祭1964年

新年あけましておめでとうございます。
今年2020年は東京オリンピックの年・・・楽しみです。

東京オリンピック1964年の時、私は都立高校の1年生でした。
オリンピック本番の直前、東京の高校生が国立競技場での入場式各国行進の予行演習に駆り出されました。
私はオーストラリアの国旗を持って、音楽に合わせて入場行進した記憶があります。

また、開会式前日に後楽園球場で行われた前夜祭でファンファーレを吹く機会がありました。
前夜祭の事は、あまり記録にないようなので私の体験をここに書いておきます。

開会式1か月ぐらい前?あるいは夏休みの前?東京のトランペットを吹く高校生が集められて・・40人ぐらいだった思います・・楽譜を渡され須磨洋朔先生からファンファーレの指導を受けました。
その後、途中で1回ぐらい練習をした記憶があります。
前夜祭ファンファーレ

上手な先輩方はファンファーレ用のラッパを与えられましたが、私は自分のトランペットでの参加でした。

本番は後楽園球場バックグラウンド席の一番高い処だったと思います。
その時撮影した演技会場の写真がこれです。
東京母の会連合会の東京五輪音頭
小学生から高校生までの鼓笛隊

江戸の出初式

今見ると、野球場のままの会場に何やら敷物を敷いただけの簡素な設え。
この時代は、これでも一生懸命だったのですね。
何だかこういう素朴なの好きです・・・懐かしい。