2022年10月2日日曜日

せど森の宴

 奥会津体験博覧会「せど森の宴」
只見川電源流域振興協議会が主催して昨年からスタートした企画。


この催しのコンセプトがこのように書かれている。
「せど「背戸」とは家の裏口、裏門もことを指します。
奥会津地域では、家の中のプライベートな空間、お客様に見せない部分といった意味合いで使われることが多い言葉ですが、「この森の宴の期間中は、旅人に普段は見せない「せど(背戸)の中に入ってきてもらい、奥会津地域に暮らす私達の普段の自然な暮らしぶりに触れてほしい。」というメッセージを込めて、せど森の宴と名付けました。

2年目の今年は運営事務局を「NPO法人そらとぶ教室/森の分校ふざわ」とし、より身近な催しになることを意図しているように見えます。

毘沙沢は今年初参加、17番、「E-BIKKE『ISSIMO』で毘沙沢林道サイクリング」を事務局の明日香さんに新たな企画として立ち上げていただきました。


1月13日(日)、11月26日(日)の2回の実施です。
定員は各4名。

奥会津の山奥へ、電動アシストバイクでお出かけいただければ嬉しいです。。

2022年10月1日土曜日

今朝の爽やかな毘沙沢

 久々に毘沙沢の朝の清々しい空気をお届けします。
今朝はぐんと冷えこんで・・ストーブが必要な季節に突入。

只見町は今日、只見線再開通のお祭りでワイワイしていますが、只見駅から22㌔離れたここ毘沙沢はとても静かです。
空気が美味しい。小鳥のさえずりも可愛い。風に吹かれて木々がさわさわしています。







2022年9月26日月曜日

田島吹奏楽団の演奏会

 田島吹奏楽団のコロナ以来久々の演奏会、9月25日楽しい雰囲気のなかで終わりました。

冨美恵はフルートで出演

私は演奏会2日前の怪我のため、出演できなかったのはとても残念でしたが・・観客として楽しむ事が出来ました。



演奏曲目は、写真の7曲にアンコールの2曲「鎌倉殿の13人・メインテーマ」「具蓮華」を加えて全9曲。


只見町からはお友達も駆けつけてくれて、楽しんでいただけて嬉しかったです。

奥会津地域もコロナに段々と慣れ、普通の生活を取り戻しつつあります。
これからは、こうした演奏会が普通に開催できるようになることを願います。
そして私は、指の怪我を治して次回は参加したいと思いました。


2022年9月25日日曜日

救急車

 9月23日、この日は金曜日でしたが秋分の日で休日。
こんな日にあえて仕事をする必要はなかったのですが、気になっていた作業を始めました。

いつもなら素手で行う手押しカンナの作業、何故かこの日は手袋をはめていました。
そして、力を入れたとき、手が滑って左薬指の先端を10㍉ほど切り取る怪我。

こうした怪我は初めてことで、慌てました。
休日で診療所も連絡が取れない・・・Kさんに電話。
これは救急車しかない、と、妻が119番へ。
119番が、電話口で怪我の状況を丁寧に聞いてくれて、応急処置を指示いただきました。

幸い今の時期は救急車が毘沙沢(冬期間は入りません)の家の前まで入ります。
孝子さんが先に来てくれて、色々と世話して頂きました。 

この日は南会津病院に外科の先生がいない、と言う事で会津若松の会津中央病院まで搬送。 

2時間強の時間、救急救命士?のお二人と色々とお話が出来ました。
親切に丁寧に励ましていただき、救急医療のお話などを聞くことで指の痛みを忘れることもできました。
今まであまり縁のない世界でしたが、只見町にとってこの1台の救急車がとてもとても大切なものである事を強く感じました。

多くの方が助けられているけれど、あまり話題に上らない救急車の活動。

今回の怪我程度で救急車を呼ぶことが正しい選択であったのか?
考えます。
只見町に1台しかない救急車ですから・・1台の救急車が留守の間の救急患者は隣町からの応援を受けなくてはならないようです。




怪我は、病院の方々の丁寧で的確な、そして親切な対応のおかげでその日のうちに無事処置が終わり、只見線の最終で会津川口まで、その後タクシーで無事に毘沙沢に戻ることが出来ました。

改めて医療関係者の皆さんのスペシャリストとしてのスキルに感謝したいと思います。

そんなことで、25日に予定していた田島吹奏楽団の演奏会への出演はできなくなりました。
とても残念です。

2022年9月8日木曜日

楽天モバイル基地局の開設

 9月5日に毘沙沢の楽天モバイル基地局が開設。
実は私達留守にしていて、今日9月8日に確認が出来ました。

これは、毘沙沢にとって歴史的な出来事です。
今まではこの地域では、雪の中で歩けなくなっても、山の中で怪我をしても緊急連絡はできませんでした。
しかしこれからは、携帯電話が通じます。

今回の毘沙沢基地局開設で
紫の林道部分が携帯電話使用可能になりました

本人認証で使うSMSもこれで大丈夫。
これはとても重要な事なのです。

私達は2人で楽天モバイル契約者になりました・・・楽天は契約内容が単純で・・お安いし・・。
ご報告です。



2022年8月8日月曜日

毘沙沢(びさざわ)

 この表題は、このブログの最初(2008年3月24日)に書きました。
毘沙沢という、世界に一つしか無い地名は、長い長い歴史を生きてきた奥山の小さな集落です。
豪雪地の厳しい冬を何百年とこの地を守ってきた人々がいたから残った里山です。

5軒が離村する直前の集落

その人々が、どの様な環境の中で、どの様な理由で、どの様にしてこの地を離れたのか?
関係者が存命中に、こまめに調べる事をしてこなかった事を今悔やんでいます。

当時町の職員で、布沢在住のK氏へのインタビューを、2014年発行の「只見町 川と人の物語」に見ることが出来ますので引用します。


「昭和44年の水害では、毘沙沢の民家に被害はなかったが、農地の三割程度が山の崩落による土砂で埋もれてしまった。当時毘沙沢には民家7棟があった。村民の姓は全て梁取。毘沙沢の子供たちは、布沢分校まで約2.2キロを毎日歩いて通った。・・・・」
「当時、明和地区で冬期間除雪が行われていたのは、国道289だけであった。布沢や毘沙沢においては、昭和47年以前は春先除雪といって、道路の除雪は春になるまで一切行われなかった。・・・」

と言う事から、昭和44年当時、この地域は布沢も毘沙沢集落も冬に車の入らない、今とは比べ物にならない厳しい世界であったことがうかがえる。

「当時、毘沙沢の水害復旧は可能であった。しかし、県の過疎対策として、辺地集落を中心集落に集める集落再編成構想が持ち上がっていたこともあり、毘沙沢においても集落移転の話が浮かび上がった。毘沙沢の7世帯のうち5世帯は、悩んだ末、町が用意した大倉の住宅地に移転することを決め、翌(昭和45年)の秋頃には移転が完了した。・・・」

この事から、毘沙沢集落では家屋の被害は無く、むしろ安全な場所であることが伺える。
ですから、災害が引き金にはなったが、災害が原因で離村したのではないことがわかる。

〇最後まで毘沙沢の暮らしにこだわった人たち
「梁取長佐さん(大正時代初めの生まれ)夫妻は毘沙沢での暮らしを止めることはなかった。これまで通りの暮らしを夫婦2人だけでも続けると決めた。また、梁取藤吉さんは布沢に新しい家を建て、そこから毘沙沢まで毎日2.2キロの道のりを通って農業を続けた。そして、毘沙沢の旧自宅は農作業小屋兼出小屋として利用した。町はこの2世帯の農地については災害復旧をした。・・・」

この事から、私の住む家と、お隣の家が残り、私達がその後を引き継いで暮らしていると言う事に繋がるわけです。

私は、この記述は事実だろうと思う。
長佐さん夫妻が守った家を私達が引き継ぎ、藤吉さん夫妻が守った家を岩〇さんが引き継いだのです。

引きついた時の我が家と土蔵
1994年秋

今、そのころのことを知る人は少なくなりました。しかしそうした歴史の中でこの奥山の風景が残っていることに慈しみを感じます。

林道の終点から見る今日の毘沙沢集落

只見町はユネスコエコパークに登録し、自然と共に暮らす里山の暮らしに光を当てようとしています。
民具収蔵展示施設「ただみ・モノとくらしのミュージアム」の活動も始まりました。

毘沙沢のような里山の暮らし、その現場を、その風景を、次なる世代に繋げ残すことを新たな目標にしていただければ幸いです。
毘沙沢を離村集落としてだけでは無く、残された貴重な里山集落として価値を見出し、大切に見守って頂けると先人も喜ぶはずです。

2022年7月31日日曜日

毘沙沢林道の事

 毘沙沢林道を生活道路として利用している家は現在16軒あります。
この16軒は、冬季間、雪の積もる林道を家まで歩いています。


その中の4軒には町民が住み、1軒は町民が所有し、残り11軒は東京、千葉、埼玉などの方々が別荘として利用しています。
別荘利用の11軒のうちの1軒は企業が管理し、1軒は数家族のグループで利用していると伺っています。

毘沙沢林道と16軒の家々

「毘沙沢林道の舗装等安全を願う沿線居住者の会」として連絡を取り合うこともしてきましたが、別荘利用者は町、区との情報交換などの関係は殆ど無く、繋がりは制度化されていません。

別荘利用は、所有者の高齢化と共に利用率が下がり、冬季間の維持管理が難しくなっている様子が伺えます。

将来のことが心配です。
出来れば、今のうちに何らかの対策が講じられればと思います。

現在布沢区から町へ出されている林道の環境改善陳情には、こうした現状への対策の必要も含まれている課題だと受け取っていただけると嬉しいです。

そして、林道沿線関係者の皆さんにも、現状への不満・不安を布沢区、町に投げかけて頂ければと思います。
8月7日予定の林道の普請では、布沢区の沢山の方が毘沙沢林道の草刈りに応援出動してくれるようです・・・毘沙沢沿線関係者の今後を心配して頂いています。


2022年7月30日土曜日

議会の不採択に対して

毘沙沢林道に関する町からの情報は、林道沿線に家を持っていても、町民でないあるいは区民でない一部方々には届いていないようです。

昨年末の布沢区から町・議会への、毘沙沢林道環境改善の陳情についても、一部沿線関係者の耳には入っていないのかもしれません。

また、今回の議会からの不採択通知も、文章が区長宛に届いてはいても議会からの内容説明も沿線関係者への意見聴収もありませんでした。
と言う事で、議会だより(7月29日発行)に公表されたタイミングで、私の個人的な意見ではありますがここに綴ってみることにしました(このブログは林道沿線関係者の多くの方に読んでいただいています)。

これは布沢区とは関係なく、あくまで私個人の考えで書いています、間違った解釈が有るかもしれませんが、お許しください。

只見町・議会だよりの不採択記事

 毘沙沢林道環境改善を求める布沢区からの陳情への議会からの不採択理由に対する私見

 202112月、布沢区から只見町議会への陳情「毘沙沢林道の全面舗装と常時除雪、町道編入をお願いする件」に対する不採択の回答が、議会だより No.168 (令和4年7月29日発行)に公表されました。区民及び関係住民への議会からの直接の説明あるいは反論を聞いていただく機会がありませんでしたので、この結果に対して私が気付いたことをまとめておきます。

 ◆不採択理由の1
「全線舗装工事については、平成246月に舗装工事の陳情があり、当地域は過去の災害時に集落移転をしている経緯があることから、大規模なインフラ事業は適さないと判断し不採択としているが、その後急傾斜等部分的ではあるが舗装工事を実施している。」

 この引用にある平成24928日の議会からの審査結果理由には「本事件は、区民の高齢化に伴う路面補修、草なぎ作業の困難さによる毘沙沢林道の全面舗装を求めるものです。」という前段があります。

この事はこの判断の前提が、当時区が要望していた林道生活者の安全という重要な視点を二次的に扱っての判断であったことがうかがえます。

この時の事はその後、当時の議会議長をはじめ他の議員からも正しい判断ではなかったとの説明を聞くこととなっています。

判断理由のあいまいな、過去の不採択通知を再び持ち出した事に不満を感じます。

 ◆不採択理由の2
「通年除雪については形状、安全性の面から困難であると考えられる。」

 この事は、今回の陳情が、通年除雪の可能な安全な舗装道を希望していることに対し、現状が適さないからとの判断は不採択理由として意味をなさない。

 ◆不採択理由の3
「(記載にはありませんが、数ある林道との整合性が取れず、)町道編入については町道認定基準に合致しない。」

(・・)は議会答弁では報告されたが、区への通知からは削除されている。

 只見町の林道には舗装されたものも多く、さらに今回の毘沙沢林道の実態が生活道路であることから、不採択理由にはならない。

また現状が町道認定基準に合致しないからこそ環境改善を求めているのですから、現状が町道認定基準に合致しないから不採択というのは理由にはならない。

 ◆不採択理由3の続きで
「当林道については、継続的に維持、補修に努め要望時に圧雪除雪などを行っているが、通年除雪は不可能であっても好天の合間を見て安全性を確保しながらの除雪は可能であると判断した。」

 これは、冬季間において除雪は可能であるとの判断と思われるが、実際は舗装されていない道路の除雪は除雪後に車が入れる状態にまでは難しく、やはり舗装が必要であると考えるのが一般的であると認識している。

 今回の不採択理由はとても分かりにくいもので、不採択の裏には林道生活者を助けたいという気持ちが見え隠れしているようにも見える。

そして全面舗装を否定する通知にもなっていない、そうであれば、住民の味方であるはずの議会としては、はっきり生活道路の全面舗装を勇気をもって応援してほしかった。


2022年7月20日水曜日

その後の訪問・・・その13

 昨日、池田武邦さんのお別れの会に京王プラザホテルへ出かけたました。
受付として使われていた「花の間」、訪問は何年ぶりだったのでしょうか。

昨日の花の間

私がデザインにかかわってから35年の歳月が過ぎ去っていました。
その間に何回改装がされたのかは定かではありませんが、花をテーマにしたシャンデリアは踏襲されていました。
そして絨毯には大きな花が・・。
私が関わった当時の花の間
この時の絨毯は高橋英子先生

昨日見た花の間は時代を反映してか、落ち着いた上品な部屋になっていて良かった。

この事は私のこのブログの2016年10月8日「昔の仕事・・・その16」に取り上げています。

2022年7月15日金曜日

繋がる

 只見町は江戸時代、八十里越で新潟県と繋がっていた。
戦後、田子倉ダムの建設で中央と強く繋がり、大きな犠牲を払っても利益も得た。そして今も電力供給で首都圏と繋がっている。
その後只見線が開通し、会津若松、小出と鉄道路線で繋がりました。

2011年の豪雨災害で一度切れた只見線がこの秋再開通。
一日3往復のダイヤが発表されています。
このダイヤからは、残念ながら交通の利便よりは、繋がることに意味を見出している事が透けて見えます。繋がっている安心感。

八十里越(国道289)は、通年交通の夢が数年後に近づきました。
新潟県との冬季間を通した通年の繋がりは、行き止まりのこの町にとって悲願でした。

只見町には、布沢のような行き止まりの集落がいくつかあります。
布沢集落はかっては吉尾峠を越えて若松へ通じる道がありましたが、今は通れません。
そのさらに脇の細い枝の先に毘沙沢が有ります。

毘沙沢に楽天モバイル基地局が出来る意味は、行き止りの先の未来に太く繋がることにあります。
先日基地局のハード施設は整備されましたが、皆さまの所と電話が繋がるのにはもう少し時間がかかるようです。

先人の残した土蔵の基礎の中の基地局


2022年7月1日金曜日

楽天モバイル基地局・・・その3

 その後、整地や機械基礎の捨てコンなどの施工がされました。
そして、産業廃棄物が何回かに分けて運び出されています。
あと一歩、庭先がだいぶ綺麗になってきました。

基礎のための捨てコン打設

産業廃棄物の運搬

そして今日は、東北電力の配電工事。
簡単に配線するだけ、と考えていましたが、容量が増えるとの事で、電柱上のトランスをはじめ、全ての機器が更新されました。
こんなことまでするんだ…とただただ感心して見守りました。

東北電力の工事

楽天モバイルのおかげで、毘沙沢の環境が大きく変わったような気がします。
電波事情、電力事情がレベルアップしたような・・。

都会の皆さまから見ると、大自然の中にわざわざ電磁波を持ち込まなくても、と思われるでしょう。
しかし、過疎の奥山の生活には、こうした新たな出来事が、たとえそれが毒を含んでいるとしても、必要に感じてしまう危うさをどうすることもできないのです。
頼もしく、ありがたいのです。

毘沙沢の生活に町内の一部の人たちが持つ偏見・・・町外の人たちには、奥山への差別・後ろ向きな姿勢がまったく無いように感じます。
それ以上に、この地で仕事をすること、開拓することを楽しんでいるようにさえ見えるのが不思議です。

2022年6月24日金曜日

楽天モバイルの基地局・・・その2

 17日に柱を立てて、その後今日まで少々時間が空きました。

今回基地局を作る場所は、前に土蔵が建っていた場所。
この場所を選定したのは私ではないのですが、推薦はしました。
電柱から近く、電源と光ケーブルとの接続に都合が良いとの理由です。

建設地には土蔵の残材が多少残っていることを、私は知っていました。
それらも含めて、基地局として整備されることを期待もしていたのです。

分別されて出来た袋
想像以上の量でした

今日はそうした土蔵の土と残材の撤去作業。
小型のユンボと人力で、金属、ビン、プラスチック、蔵の梁柱、基礎の石材などを分けながら袋に入れる作業は、想像以上に大変です。
それを、的確に、皆で協力しながらの作業は目を見張るものがありました。
最近の若者、すごい。



種分けは人力

と言う事で一日かけて、沢山の袋が出来ました。
そして、土蔵の後はだいぶきれいになりました。
ありがたいことです。

明日、また続きの工事が行われます。

2022年6月17日金曜日

楽天モバイルの基地局

 毘沙沢には携帯電話の電波が届いていません。
光電話はありますし、光ケーブルが繋がっていますから問題なし。
と考えてきましたが、最近の世の仕組みがスマホ有りきとなって、やはり不便を感じていました。

そんな毘沙沢に楽天モバイルが基地局を作るとの話が昨年持ち上がりました。
そして、私の土地に作るための契約を昨年末いたしました。
そして今日、工事に着手。



なんでこんな山の中に??と、今でも不思議ではあります。
しかし、国は過疎の末端地にまで、くまなく電波網を張り巡らすよう指導してると聞きます。

今、中山間地は人口減で高齢化が進んでいます。
豪雪地の只見では、毘沙沢のような奥山の地に住むことへの抵抗が無いわけではありません。
しかし最近、報道関係のある若い女性から「これからは多様な生活の可能性を広げることが大切。いろいろな価値観の中で生活できる環境を認めることが必要になる」というような話を聞きました。そうした考えが只見町のような中山間地を救う手立ての一つになるのかもしれません。

もしそうだとしたら、毘沙沢の生活スタイルはその大切な実例の一つ。
そして今、国もその方向を支援している。

そんなことを考えて、新たな基地局から勇気を頂いています。

2022年6月14日火曜日

薬用のシャクヤク

 只見町では、漢方薬で使用するシャクヤクの球根を育てている人がいます。
私たちの良く知るお友達。
そんな中で頑張ってる和子さんから、花摘みのお誘い。

球根の成長が目的の場合、花に養分を取られるのは困るのです。
ですから本来であれば小さな蕾のうちに、蕾を取り除くのが良い、と言う事のようです。

でもそれでは可哀そう。
そんなことから多くの人に声をかけて、花摘みイベントを始めました。


私達は、花を部屋中に飾り、その後ハーブティー、薬用として楽しむことにしています。
今は部屋中がシャクヤクの香りで満たされます。


あ、花摘みの後、我が家まで来ていただいてお弁当を食べました。
こちらも華やかでした。

この中のお1人は移住コーディネーターのお仕事でお出で頂きました
私達は移住者の古参

2022年6月10日金曜日

廃材で暖を取る

 ストーブを手に入れた最初のころ、我が家の廃材、あるいは白山神社が解体されその処分などでストーブの薪として利用した経験はある。

その後はナラなど良い薪材を手に入れる機会に恵まれ、廃材には手を出してこなかった。

そんな中、雪で壊れた建物の解体廃材を引き取れないか、との依頼。
材種が薪に適さない?、釘などが入っていて扱いが難しいことなどから気が重かったのが正直な気持ち。
ストックする場所の問題もあるし、薪として積み上げても美しさに欠ける。

それでも・・と、受け入れを決め、手元に置いて少しずつ整理。
建物の解体材も、大きさ長さ材種など種分けをすれば立派に薪として使えるな、と、気を取り直す。

整理して・・中にはケヤキなども

廃材を受け取りに・・・

そして、まだまだ朝は火が恋しい奥山では、梅雨の時期、今朝も廃材で暖を取っています。
何だか得をしたような温かさです。


2022年6月4日土曜日

只見生まれの家具(シリアルナンバー・2323)

 パソコンを使ってリモートで会議などするので、少し高めの机が欲しい、との依頼。
天板の大きさ1200㍉×700㍉と高さ770㍉の指定。

女性であること、自室で使用のことから、強く主張しないデザイン、重々しくない物にしようと考えました。
天板は1枚板の300年生のミズナラを使いましたが、薄く仕上げ軽やかに扱っています。

◆No.2323    ミズナラのデスク
            寸法:W1200  D700  H770
            製作:2022年5月
            素材:ミズナラ、山桜、カツラ、クリ 仕上:オイル、ワックス
            所有:福島県只見町  H氏