2020年6月30日火曜日

想い出の中に・・・その29(2003年)

2003年の冬は正月明けから越冬体制に入りました。
依頼の椅子の制作と、試作家具を急がなくてはいけなかったのです。
当時の私

当時の富美恵

この冬も、ま、そこそこの大雪で、1月は相棒が父親の介護とかで、私は1人で越冬していることが多かったと記憶しています。
夜中の大雪で、家から出られなくなるという恐怖を味わったのはこの冬でした。
家がしっかり埋まってます

2月11~14日、旭川の銘木市に㈱オグラの企画で参加しました。
ナラが目当てで、全国から集まる材木業者に混ざって、何本かの丸太を落札しました。
まだまだ北海道に良いナラが有る時代でしたが、それでもすでにロシアからの木が混ざっていると聞きました。
旭川の入札風景


製作中のクリの食卓椅子
試作中のナラの椅子


2020年6月29日月曜日

想い出の中に・・・その28(2002年)

2002年は工房毘沙沢の開設の年で、記録によると私は228日滞在しています。

11月5日、舘岩の㈱オグラから材料が届き、11月10・11日岩手の丸太市に丸太の買い付けに出かけ、その間にも製材に立ち会ったりしていました。
㈱オグラからの材料が届く

この年、私は針生の芳賀沼整さんと運命的な出会いをしました。
10月23日、㈱ハリュウッドスタジオの所員の方を交えてダーナラで食事をし、24日針生の集落の中の整さんの自邸を見せて頂き、理科大の講師をされていた堀江さん(整さんの先生であり私とも知り合い)を交えて我が家で歓談。
この時の整さんは、得体のしれない、今まで私の身近には居なかった・・・怖いものを知らないエネルギーの塊のような、そんな印象を受けました。

左から私、藤野さん、滑田さん、岡田さん、整さん

堀江さんと

秋には日本設計で共に仕事をした清水さんのご家族、柏のお友達松本さんご夫妻、そして11月24日藤森さんと宮崎君が遊びに見えています。
清水さんご家族と

松本さんご夫婦
宮﨑君と藤森さん

雪の早い年でしたが、長野県の清水さんの自邸の新築に合わせて食卓椅子の注文をいただき、早々に試作を始めました。
試作中のクリの椅子

2020年6月26日金曜日

今日の毘沙沢

だいぶ規制が緩んできました。
それでも、只見町に来るときは、町の方々との接触には気を付けています。

6時間かけて来るのですが、車を降りた時の空気感は格別です。
これは、ここにしかない宝ですね。



この写真は24日

日々草を刈ったり、掃除をしたり、楽器を練習したり、木工作業などもしてます。
よく眠れます。

最近、下手なスケッチなど描いていますが、これFBでなかなかに好評(自画自賛)という事で、こちらにも載せますね。

今回毘沙沢に来て書いたものです。
秘密基地毘沙沢
右上の青いのが日本海、左上が東京

早朝の庭先のアカショウビン
(事実と異なります)

のんびりと本を読む二人
(夢の中)

簡易郵便局にもビニールのカーテンが
(カウンターの向こう、実際は幸夫さんでした)
今日の一日


2020年6月25日木曜日

想い出の中に・・・その27

職を辞して、何時までもぶらぶらしている訳にもいかない。
まずは、木工家具の製作環境の整備をしなくてはという事で、作業場に製材加工用の機械を入れました。
昇降盤、手押しカンナ、自動カンナ、バンドソー、角ノミ、ボール盤・・・。
こうした機械を動かすのには三相200Vが必要なのだが、奥地まで電気を引き込むのは負担金が大きい。
また、毎月の基本料金も馬鹿にならないという事で自家発電機を入れることにしました。
この時の我が家

丸太は何本か購入し製材していましたが、乾燥に時間が掛かるので、すぐに使える板も適宜購入。
きこりの店で開催の漆講座にも参加したりと準備準備。
漆講座、藤原先生

富美恵の友達の上阪さんから、センターテーブルの注文をいただき、ありがたく製作。
同時に、椅子などの試作家具も進めていて、忙しい年でした。
でも、新しいことを始めるという希望に満ちていたように思います。
脚はナラ

上阪さんのセンターテーブル・天板はクリ

訪問者もありました。
高橋さんと山口さんご夫妻。
佐倉市から、市民ネットさくらの宮部さん(元佐倉市議会議員)、中台さん、小高さん。
高橋さんと山口ご夫妻
宮部さん、中台さん、小高さん
この頃からお客さんが見えると、よく恵みの森へ出かけてました。
好評でした。
恵みの森



2020年6月23日火曜日

想い出の中に・・・その26

床の工事が何とか格好を付けて、天井も無事終了の6月24~26日、㈱オグラの企画による「ものを観ると言う事、ものを作ると言う事」という催しが未だ工事途中の毘沙沢の家で行われた。
この時の毘沙沢の家

講師は、まる木講座の講師を務めている狩野実氏と日本民藝館学芸員の尾久彰三氏でした。
新しい赤松の床の上に車座になり、尾久さんが鎌倉時代の掛け軸を前に、当時の美意識についてお話しされ、狩野さんのリードで、皆でいろいろな話をしました。
僕はこの時、物を作ることに一生懸命取り組んでいる人がこんなにも沢山いるのかと嬉しかったです。
催しの案内文

2日目の夜でしたか、船橋の持井工務店の持井社長のお世話になって庭先で盛大な飲み会が行われた。
山の中でのこのような大騒ぎは、毘沙沢の集落が離村して以来ではなかったでしょうか。
ま、周りの動物たちが驚いたことでしょう。
宴会風景

左が尾久さん・のちに樹木希林と骨董探しのTVでお馴染み

左から狩野さん、小椋社長

真ん中は特別参加の酒井さん

この頃、私は家具のための材料の確保のため、ナラやタモや栗の丸太を何本か購入し、製材をすることを始めていました。

ミズナラの製材

2020年6月22日月曜日

想い出の中に・・・その25(2002年)

2002年は木工家具の仕事を始めるための準備の年になりました。
タイミングよく春から始まった㈱オグラの企画による「第7期まる木講座」への参加。
まる木講座開催のお知らせ

全4回、8日間の講座でしたが、2回目の3月31日、赤松(目通り2m、樹高21m、材歴120年)の伐倒実習が有りました。


赤松伐倒の様子

製材後の赤松
この時、私は初めて目の前で大きな赤松が倒れるのを見、そしてその木を購入したのでした。

その後4mの長さに切って製材所に運び、初めて製材に立ち会う経験をしました。
毘沙沢の床に使うことを決めていましたので、製材の板厚は34mm、材積は約3㎥。

乾燥後仕上げて板厚27mm。
6月7~11日の間で、自らの手で毘沙沢の床を仕上げました。
床の工事

6月2日、前の職場の藤森さん、中村君、宮崎君が手伝いに来てくれて、玄関の床が仕上がり、シンボルとなる導入部の丸柱が建ちました。
玄関のブロック床の工事
藤森さん、中村君、宮崎君
そして私、疲れてますね、左指に包帯

シンボル柱、建立の瞬間

2020年6月21日日曜日

想い出の中に・・・その24

時間が出来たらヨーロッパの国々をのんびり歩いてみたい。
だいぶ前から、漠然とですが考えていました。

ニュージーランドから戻った一月後に成田からパリへ向かい、パリを起点にユーレイルパスを利用して列車で8つの国を巡りました。

パリ~アムステルダム~ケルン~ハンブルク~コペンハーゲン~ベルリン~プラハ~ウイーン~ザルツブルグ~クール~ベルン~インターラーケン~ルツ゚ェルン~ミラノ~ベニス~フィレンツェ~ローマ~ピサ~パリ
オルセー美術館のルノワール
ウイーンのクリムト
クリスマス前のザルツブルク

だいぶ前にもこうした旅はしていましたが、この時は建築と共に家具にも興味を持って歩いていました。
ウイーン応用美術博物館の椅子展示

この度は、行き当たりばったりの珍道中でしたから、おかげで多くのトラブルに巡り合いました。
トラブルのない旅など面白くないという人もいますが、確かに想い出がたくさん残りました。
サンマルコ広場

フィレンツェ

システィナ礼拝堂

ピサの斜塔

年末28日に日本に戻り、その後いよいよ毘沙沢での生活が本格的に始まりました。