この時期になぜこの3人だったのか今となっては定かでないのですが、1997年の、そろそろ夜は寒くなる秋の初めでした。
左から私、妻、娘、山口さん、平野さん、高橋さん |
平野忠夫さんは、都立大南大沢キャンパスとか北九州大学の設計で共に戦った戦友、私を可愛がってくれた先輩のお一人。
高橋琢郎さんは、大川端の超高層マンション、その後の韓国へのコンサルなどでお世話になった、都市計画、街づくり側から建築を考える建築家、こちらも日本設計の先輩。
山口博喜さんは、ランドスケープを丁寧に熱っぽくデザインするタウンスケープ研究所の代表。大川端で色々助けて頂いた。
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山の中の、まだ当時は相当のあばら家の囲炉裏を囲んで、日本の今後の建築はどうのこうのと、たぶん、夜遅くまで議論したのではないかと想像する(正確には思い出せないのだが)。
現役バリバリで、お忙しい時期に遠路よくぞ来ていただいたと思います。
そういう私も、このすぐ後に済州島のコンベンションセンターのコンペに突入しました。
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