なぜこのような山の中に飽きることなく通うことが出来たのか。
この後もいろいろな人に必ず質問され、その都度ごまかしてきました。
未だにこれだ、という正解は有りませんが、ただ一つ、この地が過去に歴史を持たないただの新開別荘地であればこうはならなかったと想像します。
この地がそれこそ戦国の時代から続いたと思われる集落であったこと。
そのことが重要であったような気がしています。
勿論、今の毘沙沢の我が家が250年ほど昔の建物であるという事も含めて。
この頃から、私の知り合いが沢山遊びに見えますが、都会人にとって、この深い深い自然と共に、永い永い過去とのつながりに魅了されたのではないかと思います。
下手な絵ですが、過去の毘沙沢集落に今朝夢の中でドローンを飛ばしてみました。
毘沙沢は七戸の集落でした
上の右から2軒目が我が家、他の古民家は残存していません
家の並びは尾根沿いになっています
上の少し離れた山沿いの石碑は集落のお墓
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離村前の毘沙沢(この写真には残念ながら我が家は有りません) |
オレンジが写真の撮影場所とアングル
黄色は神社・紫が我が家
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1 件のコメント:
今井さん 大変に興味深く拝見させていただいていますありがとうございます。私は南会津が大好きで同じように4-5時間かけて通っています。今回集落の歴史的背景を書かれていますが私の場合は利根川舟運です。東遷から始まる河岸の歴史を読み込んでいくうちに取手の小堀河岸を知ることになりました。多くの人に出会い古民家購入を決めましたがだいぶ前のように思う時がありますがたった13年ほど前です。既にお世話になった多くの方が鬼籍に入られ集落はさらに過疎化して寂しいです。
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