町も、私達の生活をこうした形で少し応援してくれていたのだと思います。
北西の最後の外壁かな |
それでも、まだまだ怪しい活動と受け止められていたのか、明和派出所から出頭命令の電話が入るという事件が有りました。
幸い、大手建築設計事務所勤務という事で30分ほどの尋問で解放されたと思ます。
身元がしっかりしているという事は有難い。
オウム真理教事件、地下鉄サリンの時期ですから仕方ないことですが。
この頃「湯ら里」の名前が私の記録メモに登場するようになります。
その後、お風呂と食事で助かりました。
5月4日、元毘沙沢住人の和男さんのご家族に夕飯の招待を受けるという事もありました。メモに、熊汁、くりきなこもち、ワサビ菜などと書かれています。
残念ながら写真が有りません。
5月に仕事の仲間の来訪あり。
荒木さん、中村さん |
鳥住さん、林さん、絹巻さん |
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