2011年4月23日土曜日

国勢調査




平成22年国勢調査速報が届きました。
只見町人口は5年で6.7%減じています。

そしてこの一年で2%にあたる100人が減じ、4900人を割り込む勢いです。
これからの5年は10%減を超えるかもしれません。
果たして何処で止まるのか?

先日、ブログにも数回投稿いただいた「ミカン」君が遊びにみえました。
福島大で地域福祉を学ぶ4年生。震災の影響で大学は5月中旬まで休校ということで布沢に帰っています。

ミカン君は卒業後只見町に戻る意思がはっきりしています。
頼もしい、応援しています。

こうした若者が増えると、あるいは近い将来、人口減が収束するのか。
わずかですが希望もあります。

帰り際、切り絵の鳥を残してくれました。
窓ガラスに新たな激突事故がおきないために。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

只見町は昭和30年が人口のピークだったようですが、細かく言えば、まだ今の姿でありませんでした。30年7月に只見村と明和村が飛び地合併し、34年8月に朝日村が合併したのです。反対などあったり、県の勧告があったり、たいへん揺れ動きました。布沢地区はその頃はどこの家も 家族が10人近かったと思います。分校のすぐ向こうが山内という家、その隣や後ろは菅家。菅家という姓が多く、橋を渡ると山内、角田、荒井など。小林という姓もありました。刈屋という姓は新潟から。梁取 は太田地区。夕沢地区には若林も。分校もたくさんの生徒で、教師は3人でした。車は入ってこない時代ですので、「小林」まで1時間余かけて歩くのを何とも思わなかった時代です。分校が青年会の集まりの会場で、覚え立ての「かえり船」など歌う青年が よくいました。

毘沙沢 さんのコメント...

人口減少は、この地の生活環境に与える影響要素の大きな部分で、年々厳しさを増しているように思われます。ジリ貧という感じかな。
将来のビジョンが持てないところが辛いですね。10年後、20年後ぐらいの、皆で目指せる、あるべき姿が描けると良いのですが。