1階の共用部 |
大きな仕事は時間がかかりますから、竣工は1999年ですが、設計作業は「その1」で書いた蓼科荘の直後ぐらいになっています。
ですから、デザイン傾向が似ています。
当時、日本一高い集合住宅だったと思います。
ですから、関係者には相当に力が入っていましたね。
エントランスと33階のマナーハウス |
内藤さん、髙橋タクさんが全体を見ていて、私と白さんが最後を見届けました。
三井建設との協働で、技術的には三井建設が頑張った仕事です。
この建物は、今でも東京を代表する風景の一つとして良く見かけます。
懐かしい仕事です。
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