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2022年7月20日水曜日

その後の訪問・・・その13

 昨日、池田武邦さんのお別れの会に京王プラザホテルへ出かけたました。
受付として使われていた「花の間」、訪問は何年ぶりだったのでしょうか。

昨日の花の間

私がデザインにかかわってから35年の歳月が過ぎ去っていました。
その間に何回改装がされたのかは定かではありませんが、花をテーマにしたシャンデリアは踏襲されていました。
そして絨毯には大きな花が・・。
私が関わった当時の花の間
この時の絨毯は高橋英子先生

昨日見た花の間は時代を反映してか、落ち着いた上品な部屋になっていて良かった。

この事は私のこのブログの2016年10月8日「昔の仕事・・・その16」に取り上げています。

2021年9月21日火曜日

その後の訪問・・・その12

 このシリーズは、私が設計に関わった建物の記録「昔の仕事」で取り上げたものを、その後訪れて紹介するものです。

今日出かけたのは、このブログの2017年2月21日「昔の仕事…24」で取り上げた大宮聖苑。
さいたま市の火葬場です。
竣工が2004年5月ですから17年が経過しています。

大宮聖苑のアプローチ・今日

柏オフィスからさほど遠い場所ではないのですが、火葬場という事で足が向きませんでした。ところが最近、この計画が国土交通省のグリーンインフラ大賞「防災・減災部門優秀賞」をいただいたとの情報。
計画地はさいたま市見沼区で、かつては湿地で田んぼが広がっていた地域。
水害に対処するため、敷地の多くが調整池となっています。それらを建築計画の中で上手に取り扱ったのが評価されたようです。
実際に関わっていた若い(当時)皆さんの成果です。

国土交通省のHPから

久々に訪れた大宮聖苑は、建物の性格からか竣工当時と何も変わっていませんでした。
丁寧に大切に使われている様子にホッとしました。

エントランスホール

水を取り入れた庭

火葬ロビーと控え室をつなぐ渡り廊下

中庭

調整池側から見る施設

案内図

2020年7月19日日曜日

その後の訪問・・・その11

このシリーズは、私が設計に関わった建物の記録「昔の仕事」で取り上げたものを、その後訪れて紹介するというものです。

しかしながら、海外の仕事でその後の訪問が難しい韓国、そして計画は実現していないがその後どのようになっているか気になっていたインドネシア・スラバヤ、この2つの現場に上空から訪問することにしました。
勿論架空の訪問ですからスケッチにしています。

インドネシアのスラバヤの仕事については「昔の仕事・・・その12」2016年9月10日のこのブログで紹介していますのでそちらを見てください。
仕事としては1982年の10月、現地での提案プレゼンで終了し、その後の情報はありませんでしたので、今回上空から見て38年ぶりに現状を知ったわけです。

38年の間にインドネシアはビックリするほどに変化しているようですが、計画地は主にショッピングと娯楽施設になっているように上空から認識できます。
当時計画したホテルは実現しなかった様子ですが、その他の施設についてはなにやら関係性を感じます。
スラバヤの計画地(川に沿った扇方の敷地)は現在このようになっていました

38年前の計画地
38年前に我々の作った計画案
韓国の済州島のコンベンションセンターについてはこのブログの2016年7月14日「昔の仕事・・・その4」で取り上げています。
一時期、済州島に出かけることも考えましたが未だ訪問は実現せず、今回たまたまグーグルの写真が最近の物であることを知り、このような形で報告することにしました。
屋根にソーラーパネルが設置され、当時ホテルで計画していた隣の敷地に建物が建ち、周辺の開発も進んでいるようです。
現在のcheju international convention c.
コンベンションセンターはこの時期運営が大変だとは思いますが、頑張ってもらいたいと思います。そして、こちらは何時かチャンスがあれば実際に訪問できればと思います。

2020年3月25日水曜日

その後の訪問・・・その10

2016年9月9日に書いた「昔の仕事・・・その11」の秋田キャッスルホテル。
だいぶ前から出掛けてみたいと思いながら、中々出向けなかった秋田市。
昨日の外観・・ほぼ建設当初の状態でした

昨日、宿泊することが出来ました。
1981年のオープンですから、39年ぶりになりますか・・・いや、正確にはその後「日本海中部地震・1983年5月」で被害を受け、何回か対応に出向いていました。
ですから、37年ぶり。

ホテルですからさすがに内装は全面リニューアルされています。
ですが建物はそのまま、外観は昔のままでした。
宴会場へ上がるエスカレーター、右に中華料理の東天紅
ダイニングレストラン「ザ・キャッスル」

ホテルの前の一画が再開発され、秋田県立美術館が建ったおかげで、ホテルの前が広場となり、前面が良く見えるようになっていました。
ホテルの前に出来ていた秋田県立美術館

平日なのに、お客さんは沢山見えていました。
地元に定着し、地域に貢献するホテルになっているように拝見しました。
嬉しいことです。


2019年7月11日木曜日

その後の訪問・・・その7

建築家にとって、自らが手がけた仕事がその後どのように変化しているか、気になるものです。
大袈裟ですが、どのような仕事でも多くの仲間と命を削って形にしてきたのですから。

今日、都立大学南大沢キャンパスに出かけてきました。
正確には現在は首都大学東京ですが来年度から昔の名称に戻ります。
名称が戻って何だか落ち着いた気持ちです。
大学広場から講堂を見る・手前は空さんの石彫

光りの塔内部・須藤さんの時計

講堂ホワイエ

大学広場から情報ギャラリーを見る
講堂大ホール

南大沢駅前は、賑やかな大学門前町になっています。
構内は今の時期高校生への説明会などが行わてれいるためか賑やかでした。
学生食堂

竣工から28年が経過していますが、私達のデザインは、ほとんどがそのままの状態で維持管理され使用されていました。

大仏の平瓦は未だにきれいですし、外壁の打ち込みタイルは時間の経過を感じません。
いや、味わいは深まっていますね。
外構で大量に使用している陶製のブロックは予想通り役割を果たしています
素材の選択は間違っていなかったようです。
教養部棟中庭

28年前、私は43歳。
その時の気持ちに戻れる場所があることは幸せな事です。
この仕事に係った多くの皆さんに、現在の状況を報告します。

この仕事の詳細は、下のラベル「昔の仕事」をクリックして「昔の仕事・・・その18」に有ります。


2019年7月4日木曜日

その後の訪問・・・その6

このシリーズ、昨年の4月以来になってしまいました。
「昔の仕事・その1」で2016年7月1日に書いた「蓼科荘」へ7月2日に出かけました。
屋外にバーベキューハウスを増築して以来の訪問ですから18年ぶりです。
ダイニングスペース
敷物・橋本京子

母屋は1996年4月開設ですから23年が経過してます。
その間に、素焼きの大仏平瓦が凍害の為、新たな瓦に吹き替えられました。
それ以外はほぼ当時の姿を留めています。

訪問前に、施工の時の所長Tさんに問い合わせたり、事前に現地に何回か電話を入れましたが通じませんでした。
外観が確認出来ればと出かけましたら、何と運良くこの日管理の為東京から来ていたIさん(HUI)にお会いすることが出来ました。
そして、設計者であるという事で中を丁寧にご案内頂けました。

中に入って驚いたこと。
あまりに当時のままでありました。
時間が止まっていたかのような状態でした。
リビング

タピストリー・高橋英子

玄関ホール

客室・サヴォワ

客室・トスカーナ

客室・チロル

客室・チロル

客室・夫婦の部屋

客室・夫婦の部屋
「当時はベットカバーが掛かっていた」と・・デザインした美樹さん
照明器具も変わったかな・・・

母屋階段

正面玄関前にて

迎賓館であるためか、丁寧に大切に使われてきたことが分かります。
しかし、最近使用頻度が少ないとも思われました。

いずれにしても、現在も大切に維持されていることは確認できましたので報告します。


2018年6月8日金曜日

育った環境

「昔の仕事・・・その22」で紹介の霞が関ビル。
竣工当時、私は未だ学生でしたので当初の設計には係ってはいませんが、その後の改修設計の関係者の一人、という事で写真の豪華本(竣工50周年記念誌)が届きました。


日本初の超高層建築、その誕生の記録です。
施主・事業者、研究者、設計者、施工者が一体となった組織で、行政をも取り込んで新しい価値を生み出した先人の記録です。

その後私が所属した事務所が、霞が関ビル設計関係者を中心に創設された事務所であることから、私の育った環境とも大いに関係していることがこの記録から色濃く感じられます。

改めて、そうした環境で私は育ち、仕事をしてきたのだと再認識・・・感謝。

2018年4月16日月曜日

その後の訪問・・・その5

懐かしい場所に身を置くことが出来る。
それも自らが多少なりともかかわりを持った場所であることは幸せな事です。
今日、霞が関ビルに出かけてみました。
2001年改修のロビーには50周年記念の飾りつけが・・・

今日の外観、綺麗に維持されていました

霞が関ビルは今年で竣工50周年を迎えたのだそうです。
「昔の仕事・・・その22」2017年2月9日のブログでも書きましたが、竣工当時私は学生でしたので当初の設計には係わっていませんが、1996年~2001年の間に外装、ロビーなどの改修設計を担当させていただきました。

久々に訪れた懐かしい場所は、そのままでそこに在りました。
その後改修されたアプローチの広場の今日

その後改修されたデッキ広場の今日




2017年12月30日土曜日

その後の訪問・・・その4

「昔の仕事・その13」で紹介した江東区にある「プラザ元加賀」に出かけました。
頭部がもぎ取れたシンボル

竣工から33年の集合住宅です。
十数年ぶりの訪問でした。

今年は、大規模修繕の年だったようで、外装は塗りなおされきれいに維持されていました。
外構の植物も大きく育ち、落ち着いた雰囲気になっていましたが、庭の中心にシンボルとして作った彫刻に大きな変化が有りました。

たまたま出会った理事の方に伺うと、3・11の地震で上部が折れて危険な状態になったので、取り除いたとの事でした。
事故にはならなくて良かったのですが・・・。
取り除かれた頭部は庭の脇に横たわっていました
中心に特殊鋼の芯棒を入れていましたが、その芯棒の頂部で石に大きな地震力が掛かったのでしょう。
廃墟のイメージを形にすることでこの地の歴史の変化を表現した彫刻家関根伸夫さんとのコラボでしたが、折れたことでイメージがさらに深まったように見えました。
手元に残る石彫の竣工図
その後、年末の銀座に出かけましたら、外国の方がたくさん歩いていました。

2017年12月9日土曜日

その後の訪問・・・その3

天気も良いし、と、千代田線新御茶ノ水駅出口とつながる「新御茶ノ水ビル(日本出版販売本社)」を訪問。
高層部の外装を主に担当していました

JR御茶ノ水駅から

この建築と私との関係は「昔の仕事・その9」2016年8月27日に書きましたのでそちらを見てください。

当時と比べると、周辺には沢山の高層ビルがその後建ちましたが、ガラスで覆われた建物の多い中で、PCカーテンウオールの外観は落ち着きを見せています。
しっかりしたタイルと大きなガラスは古さを感じさせません。
ロビーの彫刻「弓をひくヘラクレス」

ロビーの彫刻「弓をひくヘラクレス」がなんだか頼もしい。
設計当初からは40年が経過しています。

「昔の仕事・その9」を探すのには、下のラベルの「昔の仕事」をクリックしてください。