2013年8月8日木曜日

一枚の新聞紙

壁に貼られた新聞紙が昨日剥がれた。
女房に言われて今日片付けてみると、昭和18年2月14日(月)の読売報知。
70年が経過した新聞紙、戦時中の紙なのだが、今も紙としてしっかりしている、そして印刷も問題なく読める。
変な事に感心。
70年前に壁に張られたもの

一面は戦果、内容は未だ日本軍優勢記事。
戦果は華々しい
そんな中に面白い記事を見つけた。
滝野川の鈴木康子さんの投稿、私の母は滝野川小学校卒、そしてこうした時代に青春。
一般国民の意識?

一方でこんな広告もある。
一方でこうした広告も
こうした紙面を見ていると、戦争は、日常の延長の上に、知らず知らずのうちに、何気なく忍び寄って来るものかもしれないと思う。
終戦記念日が近づいて来た。








3 件のコメント:

Junko Sato さんのコメント...

この日は父の19歳の誕生日。父の青春時代の世相が見えた気がします。

毘沙沢 さんのコメント...

そうでしたか、19歳の誕生日。
人生の春のような時に、何を考えていたのでしょうね。

私は、大学紛争の時代でした。
戦うのは苦手です。

匿名 さんのコメント...

壺井 栄の「二十四の瞳」は、昭和3年から昭和21年までの、戦争に翻弄された十二人の子らの人生を書いているわけですが、昭和3年、小豆島の分校に洋服姿で自転車に乗った大石久子先生がやってくるところから始まります。ハイカラ・おてんばのおなご先生が来たと、島中の話題になります。「パーマネント女史」が学校の先生で、日本の現在の情勢を考えているのだろうかと批判の投書。昭和17年 ミッドウェー海戦敗北、18年ガタルカナル島撤退、アッツ島玉砕。学徒出陣始まる、その頃です。「生きて帰って来いよ。」とさえ 他人がいるところでは口に出来なかったのです。自然の感情として発する言葉さえ、戦争に反対する「アカ」呼ばわりにされ、にらまれた時代でした。