私は、終戦3年後に生まれましたので戦争を知りません。
それでも、未だその余韻のような物は感じて育っています。
今日は終戦記念日、68年が過ぎました。
戦争の恐ろしさが色あせてきて、靖国などが話題に上ります。
戦死者の魂は靖国には無いと私は思っています。
親や、兄弟や、妻や子供の心の中に残っている戦死者の無念が、時間と共に消えて、靖国が頭を持ち上げてくるのは何故なのだろう?と不思議を感じます。
以下、2つの投稿です・・・ありがとう。
■ 壺井 栄の「二十四の瞳」は、昭和3年から昭和21年までの、戦争に翻弄された十二人の子らの人生を書いているわけですが、昭和3年、小豆島の分校に洋服姿で自転車に乗った大石久子先生がやってくるところから始まります。ハイカラ・おてんばのおなご先生が来たと、島中の話題になります。「パーマネント女史」が学校の先生で、日本の現在の情勢を考えているのだろうかと批判の投書。昭和17年 ミッドウェー海戦敗北、18年ガタルカナル島撤退、アッツ島玉砕。学徒出陣始まる、その頃です。「生きて帰って来いよ。」とさえ 他人がいるところでは口に出来なかったのです。自然の感情として発する言葉さえ、戦争に反対する「アカ」呼ばわりにされ、にらまれた時代でした。
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