2021年12月28日火曜日

14回目の年末の一言

 2020年「年末の一言」を書くことが出来ず、13回目は欠番となりましたが、今年を14回目としました。

12月22日・雪の道を歩いて我が家にたどり着いた直後の毘沙沢

昨年は、「想い出の中に」というタイトルで、毘沙沢での生活の始まる1994年から、このブログを書き始める直前の2007年秋までを70回に分けて記録。

前々から整理したいと考えていた製作家具の記録は、今年、「只見で生まれた家具」として71回に分け、321点の家具すべてを記録に残すことが出来ました。

共に、思い出しながらの作業で、あるいは消息の分からない写真などもあり苦労しました。
しかし、何とかこのようにブログの中に収め、何時でもどこでも見ることが出来る情報に定着する事が出来たことは嬉しい事です。

今年の毘沙沢での生活も、相変わらず新型コロナの影響を受けましたが、5月には2回の予防接種を終え、柏市と只見町を年間22往復(合計距離1万キロ)を走りました。
人が集まり難くなったこと、我が家でのイベントが少なくなったことなどが毘沙沢にじっとしていられないという現象となり、2地域を移動する行動になっているように思います。
都会と奥山との往復は肉体的には厳しいのですが、今の我々には必要な生活パターンになりつつあるようです。

そんな中で「大学生の家具作り」として、福島大学の大黒ゼミの皆さんが工房で家具を作ってくれたり、福島のTV局、テレビュー福島が「ふくしまSHOW」という番組で取り上げてくれる、という新たな動きも有りました。
大黒ゼミの活動が目指す「地元に根差したスローな地域の楽しみ方」の中でまたお会いできればと思います。

数日来の大雪で、今日現在毘沙沢は陸の孤島となっています。
こうした状況を何とかしよう、という活動が布沢区の中で動き出しています
12月8日、区から町長と議長に対して、林道沿線居住者の安全な生活のための新たな陳情書が出されました。

過疎高齢化に悩む町の中で、コンパクト化の動きを止めることはやさしい事ではありません。しかし、町行政の当事者がそれを認めたら、町の存続そのものが危ない。
この町は、毘沙沢のような末端も決して見放さないという意思を示してこそ生き残れるのだと思います・・・末端の生活に優しく強い只見町を目指してがんばれ。

私達は、今年も多くの方々に支えられて、何とか毘沙沢での生活を続けることが出来ました。
お礼申し上げます。
そして、来年もまた皆様にとって良い年でありますようお祈り申し上げます。

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