当時は安田生命鎧橋ビルと言いましたが、今は小綱町安田ビルとなっています。
設計時の外壁は白をイメージしていました |
1972年10月から計画がスタートし、翌年9月に実施設計が終っています。
私が24~25歳の時の仕事です。
1973年、私の描いた立面図 |
オイルショックと重なって着工が遅れ、私は現場には係わっていないため設計時のイメージと多少違うものになりました。
日本橋川に面し、首都高と接します |
昨日、久々に出かけてみました。
鎧橋の袂に、そのままの姿で建っています。
40数年の間、トイレなどに手を加えているようにも見えますが、竣工当時のままです。
少し恥ずかしい・・・最初の仕事(担当技師は米井さん)です。
今回出掛けて、この地に「メイゾン鴻乃巣」が明治43年から大正3年まであったことを知りました。
それを知っていたら、設計が変わっていたかも・・・と、今は考えます。
建物の前に立つ「メイゾン鴻乃巣」の説明サイン |
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