道普請はいつの頃から始まったのだろう。
戦国の時代、あるいはさらに昔から人々は自らの環境を自らの力で維持管理してきた。
そんな田舎のコミュニティーが今危ない。永い歴史が今終わろうとしている。
今日は農道普請。
都会育ちもこのようないでたちで参加。
農道は下から芋久保までと決められているので、その先毘沙沢までの林道除草は要所要所を1人で。
私が居なくなれば、草ぼうぼう・・・かな。
こうした集落の作業もこの10年で俄然元気を失ったように思われる。
高齢化と人口減に拍車のかかる中山間地、いや山間奥地の先はまるで見えない。
日本の田舎の将来は本当に危ない、暗い・・・本当に・・・災害の力なくしても。
2 件のコメント:
日本人はもう少しローカルに生きる方法は
無いものかと思います。
ところで、先日のNHK 新日本風土記「近代建築 夢のかたち」は見ましたか?
素人の私には興味深い番組でした。
見ました。明治の人達には大きな夢があったのでしょう。貧しくとも明るい未来を夢見た時代は幸せですね。
そうした意味では戦後の半世紀も幸せな時代だったのかもしれません。
これからは賢い生き方を各自が模索しないと、皆でワイワイとはいかないような気がします。
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