汚くなった土壁の上に貼られた、昭和18年の新聞は2月のものでした。
これを見てその後、当時2月の新聞が毘沙沢に届くまでの光景が頭の中を巡ります。
雪の路上を車が走ることはなかった時代ですから、鉄道で運ばれた新聞は会津若松からこちらは馬橇でしょうか?
小林あたりからは人の背に担がれて山道を徒歩で運搬したのでしょうか?
郵便物は〒マークの付いた?リュックに入れて、泊りがけで集落を回ったと聞いています。
新聞はどのようにして配られたのでしょう。
子供たちは学校に通っていましたから、分校まではこちらから取りに行ったのでしょうか?
いずれにしても、吹雪の日など数日遅れたのでしょうね。
ラジオの電波も届かない毘沙沢で、新聞は当時実に重要な情報だったと思われます。
ですから、相当にエネルギーをかけても手に入れたのでしょう。吹雪の中の新聞配達が目に浮かびます。
ちょっと涼しい話題でした。
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