2014年11月26日水曜日

末端・・・行き止まりに住まう

地方の人口は若者から順に消えていく。
これは子を持つ親の気持ちの表れ。
末端・毘沙沢に暮らしているとそうした端部で暮らす人々の不安な気持ちに気が付きます。
端部と書くと怒られそうだけれど、端部と感じてしまう空気が流れてくる。

かって(自動車の無い時代)は、綺麗な水と豊かな山林が富みをもたらす地であり、希望を持って暮らしていた地も、今は生産力を持たない不毛の地と地元の多くの人に感じられている。
都会からのアイターン者以上に地元の人が本音ではそれを強く感じているようにも思えてしまう。

行き止まり道路を頼りに生活する住人は将来への不安がさらに強い。
只見町では、布沢、塩ノ岐、黒谷、叶津などがそうした地に当たる。
東北電力はすごい

叶津は新潟へ通じる国道289の開通を心待ちにしている。
一方が不通で行き止まりになっている只見線の開通願望は、輸送機能以上に行き止まりを恐れる精神的な恐怖が原動力と感じる。
松坂峠トンネル化運動も布沢の冬季間の行き止まりを回避したいと願っている。

広く見ると、国道252が不通になる冬期間、只見町そのものが行き止まり状態の町となる。
町そのものが行き止まり、その恐れから逃れるための只見線と国道289の通年開通願望と位置づけられる。

ですから、毘沙沢のような林道の終点に住まうということは異端・・・・この町の中にも、基本はコンパクト化の思想が根付いているから。
でもそれは、この町そのものが広く見れば末端であり、この町の存在を否定しているようにも思えてならない。

そんな夢の無い事を、雪を前にして考えてしまいます。

一昨日、東北電力の手配で引き込み線の障害となる木の枝を取り除きに来てくれた荒井組、毎日のように配達してくれる郵便そして宅配、プロパンガスの配給、区や町の気づかい。
感謝しなくては。
自分の演奏は聴きたくないね・・でも勉強になる

あ、その後、孝子さんと美恵子さんに、沢山の野菜を頂いたのだった。
一昨日、仙台の佐野さんが、わざわざアンサンブルのCDを届けに来てくれたんだっけ。
行き止まりに住まうのも悪くはない・・・と、思いたい。
豊かな生活は大切にしなくては



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