2012年1月12日木曜日

神さま


山の集落では、今でも神が、都会よりもう少し生活に近いところで存在する。
先日、真さんからTEL「古峰神社のお札が余っているんだが・・・」
私は特定の神を信じるものではないが、神を余らしてはいけないと「分かった、引き取る」と返事し、昨日400円で神を引き取った。

都会に生活していた時は、今よりだいぶ若かったからか、生活の全ては自分で決め、判断し、人生とは自らが演出して歩むものだと考えていた。
ところが、最近は、あらゆる出来事は神様の思し召し、に変わっている。

悪いことも、良いことも神の思し召し、今日は働きたくないな、だらだらしたいな、などと思うときは、これも神様が休めといっているのだ、などと都合よくも使ったりする。
もちろん、この地に生活しているのも神の思し召し。

この変化は、年齢によるところが大きいが、どうやら大自然の中に身を置く事による影響大とも思える。

大震災も神の思し召し、と自然に受け入れる力、この力が現代人に弱いとしたら、自然からの距離が影響しているのかもしれない。
400円で引き受けたお札から、そんなことを真面目に考えたりする。

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