2023年10月25日水曜日

後継者は未だ決まらず

 町の空き家バンクを通して、10月13日東京からのご家族が二人のお子さんと、17日には那須からモノ作りの好きな青年の訪問が有りました。
しかし未だ後継者は決まっていません。

見学者の毘沙沢への評価はとても良いのですが、冬の豪雪への対応に二の足を踏んでいるようです。
住んでいる私には、12月半ばから3月中旬までの3か月ほどの雪との付き合いに慣れればそれほど恐れることはなく、むしろ楽しめばと思うのですが、どうやらネガティブな情報が周辺に多くあり、考えてしまうようです。

この町の多くの方々は、自分たちが苦労している分移住希望者に過剰な情報を伝えているようにも思えてきました。
大変であることと共に、楽しさも伝えなくては移住者は増えませんね。

そんな中でも私達は着々と撤退の準備をしています。
本当は、住み続けたい気持ちを抑えての引き上げは、実は辛いのですが・・・。
そうした気持ちを紛らわすため、、、今は日々家具を作っています。


沢山の注文を頂いてきたAさんの
書斎で使うデスク

そして18日、「ただみ・モノとくらしのミュージアム」にこの家の古い民具が引き取られていきました。
かんじきが沢山ありました


15日、4年ぶりのベートーベン第九、マエストロによる練習に参加。
久々に高橋先生や、多くのコーラスの懐かしい顔にお会い出来ました。
12月3日の本番に向けて日々練習しています。


麻衣ちゃんとも会えました。

18,19日は早川記録の早川さんが我が工房で作業。
そして、少し手持ちの材料の運搬もしました。





2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私は 終戦の翌年(昭和21年・1946年)から4年間、布沢分校の生徒でした! 77年まえの小学生など 誰一人 今 わかる人はないと思います。ましてや 85歳の私より上の人で、このコメント欄を見れる人は 考えられませんね。  当時は どこの家も 家族がたくさんで、活気があふれていたと言っていいです。 道路は せいぜい 荷車か馬車が通るくらいの砂利道で、もちろん 車など通りません。橋が 弱くて狭いのですね。田沢から小林の会社に 毎日 歩いて通っている人もいました。分校のある 大久保や橋向いには菅家という姓、少し行くと 角田 山内 小林 など。私は 毘沙沢には あまり 行かなかったですが、梁取という姓が多かったか。布沢の思い出を 次回に書きます!
 

毘沙沢 さんのコメント...

コメントありがとうございます。
こちらのチェックが出来ていなくて掲載が遅れました。
興味深い話です。
是非続きを書いてください。
楽しみにしています。