山の中にいると、季節の変化がとても身近に感じられます。
コナラが芽を出す前に薪にする木を伐らなくては。
2日前に数本倒しました。
そして今日は運べる大きさに刻んで運びました。
ナラは重たいですね。
薪の長さに切っても重たくて運べない物は現場で割ります。
廃車直前のエクストレイルは良く働いています。
新車になったらこの仕事は無理だな。
2019年4月21日日曜日
2019年4月16日火曜日
2019年4月13日土曜日
ウクライナへの旅ー最終
4月12日朝、日本に戻りました。
一晩寝て、外の景色を見てTVのスイッチを入れると、昨日までが嘘のようです。
昨日は早朝に電球が3か所も点かない暗い客室で目を覚まし、「チェックアウト・プリーズ」などとフロントで話、でこぼこ道をタクシーで空港に移動。
ホテルで聞いていたタクシー代、現地通貨40フリヴニャ(160円)を100(400円)と主張され、仕方なく支払う・・・ウクライナは、ちょっと危険な国と聞いていましたが、私達はそのようには感じませんでした。
注意するように聞いていたタクシー代金、100に屈したのが唯一の失敗。
でも、すでにそれも懐かしい。
2017年、両国外交関係樹立25周年で「ウクライナにおける日本年」が開催されています。
その時に出版された「夏目漱石・夢十夜(ウクライナとロシヤ語に翻訳)」を戴きました。
日本大使がとても流暢なウクライナ語を話す、などと、日本に好意的でした。
未だ、ユーロ圏に属せず、発展途上の国とも見えますが、若い希望に満ちた国と感じました。
果たして再び訪ねる機会があるのか、それは分かりませんが身近な国として注意していたいと思います。
もしこのブログを、ウクライナの方が見てくれているとしたら、お世話になったお礼を申し上げます・・・ありがとうございました。
一晩寝て、外の景色を見てTVのスイッチを入れると、昨日までが嘘のようです。
昨日は早朝に電球が3か所も点かない暗い客室で目を覚まし、「チェックアウト・プリーズ」などとフロントで話、でこぼこ道をタクシーで空港に移動。
ホテルで聞いていたタクシー代、現地通貨40フリヴニャ(160円)を100(400円)と主張され、仕方なく支払う・・・ウクライナは、ちょっと危険な国と聞いていましたが、私達はそのようには感じませんでした。
注意するように聞いていたタクシー代金、100に屈したのが唯一の失敗。
でも、すでにそれも懐かしい。
2017年、両国外交関係樹立25周年で「ウクライナにおける日本年」が開催されています。
その時に出版された「夏目漱石・夢十夜(ウクライナとロシヤ語に翻訳)」を戴きました。
日本大使がとても流暢なウクライナ語を話す、などと、日本に好意的でした。
未だ、ユーロ圏に属せず、発展途上の国とも見えますが、若い希望に満ちた国と感じました。
キエフ空港に展示の夢の住宅計画 |
キーウの郊外 |
果たして再び訪ねる機会があるのか、それは分かりませんが身近な国として注意していたいと思います。
もしこのブログを、ウクライナの方が見てくれているとしたら、お世話になったお礼を申し上げます・・・ありがとうございました。
2019年4月11日木曜日
ウクライナへの旅ー8
2019年4月10日水曜日
ウクライナへの旅ー7
ウクライナへの旅ー6
昨晩、今朝、昼とウクライナ料理を食す。
すこぶる美味なり。
キノコ豊富にして、肉を多用す。
アジアと西洋のはざまで、料理には中国の要素あり。
勿論ロシアの影響強し。
一日かけて、キーウの旧市街など中心地を見て歩く。
ソフィア大聖堂など1000年ほど前からの歴史が残る街には、教会が多い。
「展覧会の絵」で多くが知る「キーウの大門」に感激。
外部は最近の物だが、内部には創建当時の遺構が残る。
現在のキーウの門 |
創建時の模型 |
そんな中に、最近のロシアとの戦いの戦没者の写真などが並び、追悼。
独立広場 |
あちらこちらで建設がされ、大きく変わろうとしていることが街中でも感じられました。
2019年4月7日日曜日
ウクライナへの旅ー5
2019年4月6日土曜日
ウクライナへの旅ー4
2019年4月5日金曜日
ウクライナへの旅ー3
トラブルというのは何処で出くわすかわからない。
3日夜、正確には4日の早朝。
0時過ぎから、あるいはその前から、隣の部屋で大騒ぎ。
ワイワイワイワイ、あははは・・・。
4にん?5人?大騒ぎは止まらない。
1時過ぎに、レセプションに電話「403号室がうるさくて眠れない」。
「電話します」との返事。
2時ごろまで我慢したが益々エスカレート。
再度レセプションに電話する私「相当にひどい、何とかして」・・返事「電話します」、私「電話じゃだめですよ、とにかく来てください」、返事「OK、OK]。
これで少しは・・・そろそろ寝るだろう。
ところが止まらない。
このまま朝までは、困る・・・再度電話・・返事「ホテルとしてはどうにもならない、別に部屋を用意するから移動してくれ・・・」。
という事で4時に近いというのに部屋を移動。
新たな部屋は静かで、少し大きな部屋になった。
4日(木)も、寝不足に負けず、ワルシャワを歩きました。
比較的最近のショッピングセンターと、国立民族博物館。
3日夜、正確には4日の早朝。
0時過ぎから、あるいはその前から、隣の部屋で大騒ぎ。
ワイワイワイワイ、あははは・・・。
4にん?5人?大騒ぎは止まらない。
1時過ぎに、レセプションに電話「403号室がうるさくて眠れない」。
「電話します」との返事。
2時ごろまで我慢したが益々エスカレート。
再度レセプションに電話する私「相当にひどい、何とかして」・・返事「電話します」、私「電話じゃだめですよ、とにかく来てください」、返事「OK、OK]。
これで少しは・・・そろそろ寝るだろう。
ところが止まらない。
このまま朝までは、困る・・・再度電話・・返事「ホテルとしてはどうにもならない、別に部屋を用意するから移動してくれ・・・」。
という事で4時に近いというのに部屋を移動。
新たな部屋は静かで、少し大きな部屋になった。
ワルシャワ中央駅と奥のSC |
温室のようなショッピングセンター |
4日(木)も、寝不足に負けず、ワルシャワを歩きました。
比較的最近のショッピングセンターと、国立民族博物館。
民具は共通点が多い |
国立民具博物館 |
2019年4月4日木曜日
ウクライナへの旅ー2
ポーランド、ワルシャワ2日目、4月3日(水)は朝から快晴、風強し。
気温は東京とさほど変わらず。
朝食は、写真のようななかで、充実しています。
中心部のホテルから歩いて、旧市街地・観光地を散策。
第2次世界大戦で壊滅的に破壊された街を、その後丁寧に再現したと説明がある。
この町はショパンの町。
午後ショパン博物館を訪ねました。
何故か入場無料。
子供たちの見学の場にもなっているようで賑やか。
そんな中で、ショパンの音楽について講義を受ける。
とはいっても、ポーランド語・・・まるで内容は理解できませんでしたが、文化を感じる。
一日良く歩きました。
気温は東京とさほど変わらず。
朝食は、写真のようななかで、充実しています。
中心部のホテルから歩いて、旧市街地・観光地を散策。
第2次世界大戦で壊滅的に破壊された街を、その後丁寧に再現したと説明がある。
旧市街広場 |
この町はショパンの町。
午後ショパン博物館を訪ねました。
何故か入場無料。
ショパン博物館 |
ショパンが若い頃オルガンを弾いた教会 |
ショパン・音楽大学
|
ショパン博物館の中でショパンの講義 |
子供たちの見学の場にもなっているようで賑やか。
そんな中で、ショパンの音楽について講義を受ける。
とはいっても、ポーランド語・・・まるで内容は理解できませんでしたが、文化を感じる。
一日良く歩きました。
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コペルニクスの像の前で |
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