両親は共に実家を空爆で失っています。
焼け野原の中で、私が物心ついた時の住宅は4畳半一間の図面の家(駒込)。
天井が無く小屋組の見える、一部焼け跡からの廃材を使った家であったことを記憶しています。
この家で親子4人が生活しました |
その後増築し、小学校低学年の時に建て替え、何回か増改築を繰り返した記憶があります。
決して貧しさは感じていませんでしたが、それは周囲が似たような状況だったからでしょう。
父が旅立って、葬儀も終わり、ここ数日昔の事を想い出す時間がありました。
明日幾つかの用事を済ませて、明後日毘沙沢に戻ります。
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