2018年7月16日月曜日

山の中の養蚕

日本中が養蚕(ようさん)に力を注いでいた明治期、只見地方でも各集落に養蚕工場が建ち、生糸が横浜に送られたと書かれています。

その頃使われたのでしょうか、「糸取り機械」と「糸繰り返し機械」がこの山の中、毘沙沢にも残っていました。
残念ながら気が付いた時は写真の状態でしたので、保存は出来ませんでしたので記録に残します。
残された2つの機械
「会津只見の民具」より

「会津只見の民具」から

都会で育った私は、教科書で学ぶだけでしたので、このような山の奥で過去に生糸の生産がされていたことに今更ながら驚いています。

こうした機械は町場で作られ、山道を遠路運ばれてきたのでしょう。
ですから、役目を終えても簡単には処分できず、大切に保管されていたと思われます。
糸繰り返し機械

木製機械の詳細

詳細(輪車は朴の木と思われる)

明治・大正期あるいは戦前までの日本の産業はこうして多くの地方の人々によって支えられていたのですね。
そして、日本の末端毘沙沢にも元気だった時代のあった事をうかがい知ることが出来ます。

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