2011年8月6日土曜日
神社解体材の整理
先日の豪雨で解体材が水を浴び、カビが生え汚くなってきた。
あわてて整理に取り掛かる。
大きな部材を取り出して家の前まで運搬。
そうした中に柱に墨書きの文字がいくつか出てきた。
古いものと思われ、消えかかっているが・・永二年と読める文字がある。
先日発見の札が寛保三年、さらに古い札が寛永だから、もしかしたら柱書きは寛永二年(1616年)?。
戦国の世が終わり、江戸時代が軌道に乗り出したころ神社新築はありえる。
柱には貫材が横から通っていて、それを柱に強く固定する為にクサビを打ち込む。
そのクサビに文字発見・・・これは文字を書いた板を切り刻んで楔として再利用したもの。
さらに、大梁の「せん」に場所を示す文字「大はりのせん」。
楔は寛永?の松材の柱からみつかっつている。実にきれいな達筆。
いずれにしても、江戸初期の文字は美しくしなやか。
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4 件のコメント:
まさしく毘沙沢ミュージアムですね。
これらの制作年代が判ったころ開館しましょう。
実にいい具合に毘沙沢さんのような人がいたものですね。白山神社は幸せでした。
この家も含めてどのように受け継いで行くかが今後の課題ですね。そのシステムが今は無い。
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