長い一年でした。
いろいろなことがありました。
その結果でしょうか、今年のブログでは今回を含めて216回の投稿となりました。
年間200回を超えるのは9年目にして初。
「昔の仕事」が7月1日の「その1」から12月3日の「その18-3」まで20回にわたって書けたこともボリュームに貢献したのかもしれません。
「昔の仕事」については、未だ少し書き残しているのと、さらに家具にまで広げることで私の「もの造り」の記録としたいとも考えています。
いずれにしても、このようにつたない文章、私的な内容にまでお付き合いいただいたことに感謝申し上げます。
今年は、投稿数が増えたのと同時に、訪問頂いて読んでいただいた方の数も飛躍的に増加しました。
そんな中で、アプローチ数の多い上位10をご報告しておきます。
1. 演奏参加ツアー 12月5日
2. 広報只見 11月14日
3. 新庁舎の行方 9月7日
4. 春に向けて助走・・・その2 3月1日
5. 只見町議会議員選挙 3月22日
6. 先の見えない新庁舎 3月15日
7. 民家再生 3月23日
8. 末端生活のすすめ 12月6日
9. 混迷を深める新庁舎 2月26日
10.Emmaスツールのデビュー 3月8日
・過去8年間の「年末の一言」はこの下の「ラベル:年末の一言」をクリックしていただくと全てを見ることが出来ます。
・「昔の仕事」も同様に「ラベル:昔の仕事」からアプローチできます。
・また、話題のテーマ「上位10」は同じく「ラベル:上位10」をクリックしてみてください。
来年も、引き続き毘沙沢での生活を中心に書き続けるつもりです。
奥会津・只見町そして毘沙沢応援団の皆さま、来年もよろしくお願いします。
良い年をお迎えください。
2016年12月28日水曜日
関東平野の晴れ空の下で
2016年12月25日日曜日
演奏会参加ツアー
正確には1人は東京から。
林道を歩いて下山 |
私たちは、22日に山を下り、芦ノ牧温泉に1泊してから23日の練習に入りました。
サナエさんと恵子さんは23日の練習の後、東京からの麻衣子さんと会場近くの宿泊施設で当日を迎えました。
「朝から温泉に浸かって・・・・」などと、旅行気分。
そうなんです・・只見からの参加は大雪の心配から、宿泊付き演奏会参加ツアーなのです。
24日は御蔵入交流館9時集合、午前中は発声から始まって、ゲネプロでオーケストラと合わせます。
最後の調整です。
だんだんと気分が高まります。
この瞬間が好きです。
リラックスして楽しめる瞬間でもあります。
ゲネプロ |
沢山のお客さんにお出かけいただいて、よい演奏ができたと思います。
高橋先生の指揮、ソリストの歌声・・・すごかった・・・奇麗だった。
記念撮影 |
このような演奏会に参加できたことに感謝。
関係者の皆さん、お世話になりました。
ソプラノ・ソリスト史子さん |
メゾソプラノ・ソリスト・州美枝さん |
高橋マエストロ |
打ち上げ会場を少し早めに後にして、柏にたどり着いたのは23時。
長い、楽しい2泊3日の演奏会参加ツアーでした。
只見からの参加者と荒川先生 |
2016年12月23日金曜日
2016年12月21日水曜日
2016年12月16日金曜日
2016年12月12日月曜日
チャンと・・・来ました
2016年12月10日土曜日
2016年12月9日金曜日
地元職人の会
報告書の表紙 |
報告書の最後に「研究会組織づくりと活動強化」があり、「住まいづくり・まちづくり研究会」体制が組織されました。
今こそこうした活動の強化が必要なんだと思います |
そうした活動の延長で、昨晩「地元職人の会勉強会・懇親会」で、空き家住宅の利活用について話をして欲しいとの要請があり、参加しました。
昨晩の勉強会の参加者 |
親睦会 |
現在、明和自治振興会で進めている活動内容を、地域おこし協力隊の大竹さんと2人でお話する機会を頂いたと言う事です。
参加者は大工さんとか電気、塗装、左官、板金・・・など、この地の建設を担う方々でした。
親睦会では、私が今住む家の縁者の板金屋さんとか、毘沙沢がふるさとの大工さん・・・なんだか懐かしくお話しました。
毘沙沢がルーツのお二人 左の浩さんはこの町で一番若い大工さん、でも49歳とか |
空き家への関心は、少しずつですが広がっているようです。
2016年12月6日火曜日
末端生活のすすめ
2016年12月3日土曜日
昔の仕事・・・その18-3
この間にどれだけの総合図・施工図をチェックしたのでしょうね。
1989年夏の全景、未だ駅との間の道路は有りません |
1989年夏、 右上の仮説小屋が私達の事務所でした 本部・文系・教養部・講堂 |
工区は5つに分かれていましたが中野君と私は主に1工区に多くの時間をついやしていました。
青木建設を中心とするJVも良く頑張りました。
朝から晩まで、毎日毎日施工図に赤を入れて施工者に戻す作業、隅から隅まで図面化する作業。
工業製品ではなく、ほとんどが現場で造りましたのと、外壁がタイル先付とか内外壁面がコンクリートの打放しでしたから、タイルの割り付けと型枠の割り付けを全て図面化していました。
京都大佛のお店の前で瓦の検討 |
型枠先付タイルの様子 |
そんな中で癒されたのが、美術品を沢山取り入れたことでした。
平野忠夫さんの提案でしたね。
アート・ディレクターが高橋英子(当時女子美教授)さん。
12か所12人のアーティストが選定され、建物に散りばめられたのでした。
それぞれに思い出深いのですが、大学広場の石彫(空充秋)、光の塔の振り子時計と日時計(須藤宏+高橋英子)、小講堂緞帳(佐野ぬい)、大学本部金属彫刻(井原通夫)、大講堂ステンドグラス(安河内敦子)、人文学部ロビー(熊井恭子)、法学部ロビー(斉藤研)、経済学部玄関ホール(高橋英子)が私の担当エリヤでした。
写真で紹介します。
現場事務所に空さんが持ち込んだ模型 |
四国の工房へ製品検査(空、平野。髙橋・・撮影今井) |
塔壁面の日時計・・・昨日撮影 |
塔の中の振り子時計・・・昨日撮影 |
人文学部の壁面装飾 |
小講堂の緞帳 300席のこのホールは、私の設計の中で特にお気に入り |
経済学部ホール・・・昨日撮影 |
高松の空さんの工房にて |
想い出のスナップ |
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